私たちは「地球のお医者さん」です。
ジェンティは、「その人がその人らしく」を応援しています。 ジェンティに関わることで、誰もが自分らしく、 美と健康と生き方を通しての「幸せ」はもちろん、 「仕事」を通しての「成功と幸せ」も、いっぱい味わっていただきたいと想います。 そのために、今は思いっきり準備をしております^^ 共鳴していただける方は共に、 人と地球に優しい、本当の意味での「幸せと成功」を共に歩みましょう。
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2015年11月16日
「冷えは万病の元。」
と、言います。
体が冷えていると、細胞は固くなり、血液も汚れていきます。
当然、それによって様々な病気へと進んでいきます。
人間と同じように、土にも冷え症があります。
冬に電車に乗って田畑の景色を観ていると、雪が積もっている田んぼと、積もっていない田んぼがあります。
積もっているのは、土が冷えているからです。
昔の人は、雪が積もるような土地に家を建てると病人が生まれる、と考えていました。
冷え症の土地の上で暮らせば、冷え症の人を生み出すからです。

温かい土地には、酵素が多く含まれています。
発酵しているものは、温かくなります。
畑の脇に牛糞が積まれているのを見ると、いつも湯気が出ていたりします。
発酵が進んでいると、100℃くらいまでいくようですね。
酵素は、生命の活動そのものとも言えます。
温かい土とは、健康な土地であると、言うことができます。

人間も同じです。
お腹の中に、酵素が豊富な方には、体が芯から温まっています。
冷え症の方は、腸内に酵素が不足しているということです。

酵素を多く含むものは、生の食品や発酵食品などです。
特に、「旬の食べ物」です。
旬とは、上旬、中旬、下旬という言葉がありますように、10日間ほどの短い期間で採れたものです。
簡単に言えば、自然の恵みを、加工せずにそのまま食べることが、一番の温かい身体をつくるということです。
暖かい心も同じです。
自然の景色や出来事を、加工せずにそのまま受け入れるということです。
















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2015年11月13日
グレイス主義。
それは、資本主義に変わる、新しい社会の価値観です。
これまで、資本主義の対局は、社会主義や共産主義などが、言われていました。
しかしどちらも、全く同じものです。
財の所有をどうするかというだけの問題であり、どちらも財こそすべての概念です。

結局は、資本主義も共産主義も、限界にきています。
古代ローマや大英帝国の繁栄にも終わりが来たように、すべてのものに終わりがあります。
西洋医学にも、限界が来ています。
生きている命に対して、石油から製造した薬を投与し続けても根本を豊かにはできません。

命の根本を変えるには、心を変えることが大切です。
心って、どこにありますか?
脳にあると思えば、思考に走ります。
胸にあると思えば、感情に走ります。
下腹にあると思えば、打算に走ります。
心のありかは、そう思う人によって場所が変わるのです。
そして、それらはどれも、正しいのです。

この世界のすべてが、私の心であると想えるのなら、そうなります。
自分を愛し、相手を愛し、空を愛し、雲を愛し、水を愛し、気を愛し、大地を愛し、草や花を愛し、空気を愛し、目には見えないけれどもあるだろうものを愛し…。
そう想えるのなら、あなたの心は世界のすべてです。

本当は、すべての人がもう、恵みに溢れた世界に生きているということです。
今の地球は、平等に分配さえできれば、200億人でも300億人でも、生きているだけの食も医も、電気も、自然環境は整っています。

僕の師匠の、浮船先生はいつも言います。
「目の前の人の笑顔、これ以上の喜びは無いですよ。」

そんなことにすべての人が気付く日。
それが、グレイス主義の始まりです。














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2015年11月12日
「武士道とは、死ぬことに見つけたり。」という、言葉があります。
武士道という、日本の古来より伝わる精神性を表したものです。
その究極が、「一日一死」です。

お道の教えでは、「一日一生」という言葉があります。
一日の中に、一生分の有難い感動や感謝を味わおうというものです。
その心境になると、すべてのものに、優しさや慈悲や有難味を感じることができます。

一日一死と一日一生は、コインの裏表のようなものです。
一日の中に、死を感じるという生き方です。
日本には明治維新の頃まで、生き様という言葉はありませんでした。
「死に様」という言葉だけがあり、死というものの中に、大きな意味を見出していました。
現代になって、逆説的に、生き様という言葉が使われるようになりました。
生きることと同じように、死ぬことも大切なことなのです。
生と死、言い換えれば、ネガとポジです。
ネガが濃いほどに、ポジが鮮やかになります。
影が濃いほどに光が明るくなるように、死を感じることは、生を輝かせることです。
一日一生と一日一死は、コインの裏表のようなものです。

一日一生が、すべてのものへの優しさを得るとすれば、
一日一死は、すべてのものから優しさを得ているのだと感じる心境です。

一日一生が、有難いと感じる心境であれば、
一日一死は、有難いと思っていただいていることに申し訳ないと感じる心境です。

一日一生が、日々を大切にしたいと感じる心境であれば、
一日一死は、大切と想っていただいていることに申し訳ないと想える心境です。

一日一生が、菩薩の想いで人を観ている心境ならば、
一日一死は、目に映るすべてのものが菩薩に観えている心境です。
















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2015年11月09日
資本主義の原点は、今からもう、6000年程前にさかのぼります。
物々交換を越えて、共通の価値観のあるものを媒介にした流通の始まりが、資本主義の始まりとも言えます。
共通の価値観のものは、地域や国家によって違いが少しありました。
例えば、「塩」です。
古代ギリシアでは、塩が御給金の代わりに配られましたので、「サラリー(給料)マン」の語源は「ソルト(塩)」なのです。
その他、きれいな模様の貝殻も価値がありましたので、流通媒介(貨幣)の代わりに使われました。
だから今でも、「買」や「購」など、お金に関する漢字には「貝」が使われていたりします。
日本では米が、時には鰹節が流通媒介になることもありました。
多くの人にとって共通の価値のあるもの、それが貨幣の始まりです。

その中で、絶対量が限られていて、価値も劣化することが無く、人々の心を引きつけて止まないものがありました。
それが、「金(ゴールド)」です。
金は、劣化することもなく、加工次第でどんな芸術品をつくることも可能です。
古代から、エジプトでも、ヨーロッパでも、中国でも、日本でも、南米でも、世界中の人がそれを欲しがりました。
現在の貨幣も、元々は、金との交換チケットが始まりです。
言い換えれば、金の保有量が、紙幣の根源価値とも言えます。

でもね、どれだけ金を持っていても、幸せとそれとは、まったく別のものです。
そして、死んでいくときには、何一つ持っていくことはできません。
私たちの、本当の幸せや、死ぬときに想う、生きていた時の価値観は、心の中にあります。
心の中は、目には見えません。
目には見えない、「愛」とか「優しさ」「生き甲斐」や「誇り」、それらこそが本当の財産かも知れませんね。
「後悔」や「反省」ですら、良くなろうとする向上心の表れだとすれば、とても大切な宝石のような財産です。

それらを、本当の財として、富として、全人類の共通認識における時代-。
それが、「グレイス主義」です。

通帳に書かれている預金残高も、必要なものです。
土地の権利証にも、意味があります。
経歴や学歴、地位や名誉も、あって無駄なものはありません。
ただ、優先順位が、少しだけ変わっていくことでしょう。
昔は、金がいくらあっても、米が無ければ生きれないので米のほうが価値がありました。
昔の人に、ダイヤモンドが米よりも価値があるなんて話しても、聞く耳を持ちません。
それと同様に、時代が変われば、人間にとっての共通認識は変わり、価値観が変わります。
生きる指針が変わり、人生で目指すものが変わってきます。

地球はもう、全人類を賄えるだけの豊かさを誇っています。
奪い合う必要はもう、どこにもありませんよ。
そろそろ、新しい時代に入っても、良い頃ではないでしょうか?


















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2015年11月06日
小学校六年生の時、男の子は、旅に出ないと大人になれないと思いました。
肉体や年齢は重ねて大きくなっても、それは大人ではないのだと。
旅に出る英雄体験が、大きい人の心を育てるのだと。
そして旅に出るには、二つの条件があるのだと思いました。
一つは、自分と向き合うこと。
もう一つは、景色に寄り添うこと。
そうすれば、すべての瞬間に意味が生まれるのだと。
どんな風景の中にいても、心が震えることができるのだと。
それは、少年のまま大人になろうとした僕なりの、人生を旅に見立てた哲学でした。

その頃から今でも、僕が大好きな「旅の歌」をご紹介させていただきますね。
これは、未来から来た青い猫が、ポッケから色んな道具を出して、暮らしを豊かにするというお話です。
いつも黄色いシャツを着ている少年と一緒に、机の引き出しの中のマシンに乗って西へ向かうという映画の主題歌です。

『のび太のパラレル西遊記』(「東映」1989年)
僕のひとみが遠い町の、夕焼け観たいというのです。
僕の唇が知らない人と、話がしたいというのです。
僕の足が流れる雲を、追いかけたいというのです。
だから旅に出た。
だから旅に出た。
明日という名の、町を目指して。
Go to the west.
君がいるなら、寂しくない。

私の靴が地図にない道、歩いてみたいというのです。
私の指がきれいな花を、摘んでみたいというのです。
私の心が遥かな国の、唄聴きたいというのです。
だから旅に出た。
だから旅に出た。
明日という名の、町を目指して。
Go to the west.
君がいるなら、寂しくない。


グッドラック☆
ぎゅっとラック☆










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2015年11月05日
色即是空。
空即是色。
色は即、空である。
空は即、色である。
形あるものも、実態は無いのである。
実体のないものも、そこに在るのである。

きっと、この本当の意味を、何千年も人は、ぼんやりとしかわかっていないような気がします。
僕の感覚からすれば、「心を空に置くということ。」です。
人の心は、どこにありますか?
胸で考える人は、感情に心が走ります。
頭で考える人は、思考に心が走ります。
下腹部で考える人は、打算に心が走ります。
様々な考えがあって、そのどれもが正しいことでしょう。
なぜなら、人の心は、人によって置いてある場所が違いますから。
言い換えれば、生き方や、在り方次第で、心はどこにでも置くことができます。

僕の場合は、心を空に置くことにしています。
津波が来ても、地震が来ても、空に心があれば気になりません。
台風が来ても、雷が落ちても、雲よりも高い空はいつも静かです。
空から見れば、すべてのことは迷路を上から見るように見渡せます。
すると、糸口や出口がよくわかります。

色を、形ある命あるものと想定しましょう。
命はすべて、水から始まります。
水は、空から降り注がれ、山から川へ、海へと流れていきます。
そして、空へとまた還ります。
この悠久の流れもまた、宇宙からすれば一瞬です。
一瞬とは、即です。
命は空から降り注がれ、流れ流れて、空へと還っていく。
色即是空。
空即是色。
これは、生命の普遍の流れとも言えます。

心を空に置くこと。
これが、迷路に迷った時の答えの導き方です。
迷路は上から見れば、糸口が見えます。
さらに上に昇れば、迷路を一跨ぎすることも可です。





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2015年10月28日
オセロのステキなところは、駒を増やすことを目的としないところです。
角っこを取ることで、残りわずかからでも逆転ができます。
今の世の中を、悪くなる一方と見る向きがあったとしても、オセロでいう角っこさえ抑えておけば、いつからでも世界は良くなります。
政治や経済、金融や宗教の力ではなく、自然にある本来の力がそうさせるはずです。

オセロの四隅を、世界に当てはめると、角っこの縦軸は「個人の在り方」です。
個人の「生」と「死」に意味があると思えば、すべての欲や価値観が変わってきます。
そして横軸は、「社会の在り方」です。
社会の在り方でいう角っこは、「エネルギー」と「医」です。
政治や経済、金融や宗教でさえも、エネルギーと医を中心としています。
それらは、エネルギーと医を分配するために元々生まれたものとも言えます。
エネルギーとは、「食」と「発電」です。
戦争は元々、食や発電を奪うために生まれました。
自然に沿った農法を実現すれば、200億人でも300億人でも、地球は抱えることができます。
発電も同様で、石油や原子力、太陽や風などの、動力源を必要としない発電が完成すれば、永遠に枯渇しない、その上で自然環境をクリーンにし続けるエネルギー環境が生まれます。

医も同様に、自然に元々あるもので、人が死ぬまで健康にいられるのならば、今の西洋医学至上主義は必要なくなります。
自然療法を95%、西洋医学を5%、このくらいの割合で事足りることでしょう。
今、日本だけで見ても、国民医療費は年間で40兆円を超えています。
これが経済を疲弊させるとともに、人間の命をより粗末にしているのが現実です。
すべて、一部の人たちの利権のためです。

縦軸と横軸、その角っこさえ引っくり返れば、世界はいつからでも変わります。
オセロを平面で見ていれば、誰だって駒しか目に見えません。
もしも盤上でしか生きていなければ、隣にある駒を見るだけで精いっぱいです。
オセロは、上から見ているから角っこが見えるのです。

オセロを上から見るためには。
愛とか優しさ、夢とか希望、そんな目には見えないことを大切にして生きていくことではないでしょうか。









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2015年10月20日
オセロの面白いところは、最後まで逆転がわからないところ。
途中経過での駒の多い少ないよりも、角っこを取ることの方が大切です。
それは、この世界も同じ仕組みです。
政治や経済、自然環境や国際情勢を見ていると、今の世の中は悪くなる一方のように感じます。
でもそれは、オセロでいう途中経過でしかありません。
必ずどこかで、角っこがひっくり返り、すべてが入れ替わる時が来ます。
その日が来た時が、本当の意味での世界が平和になる時です。
今の世界の価値観が、ガラリと変わるための、逆転現象です。

四隅には、縦軸と横軸があります。
縦軸は、人としての生き方です。
その根本は、「生死」です。
生まれることと、死ぬこと、その価値観です。
現代では、生まれることに差ほど意味は無く、生物学的にただ生まれてきただけであると考えられています。
だから、自分が好きなことをするだけで良いと考えます。
でも本当は、違います。
誰もが、人以外のすべての存在も含めて、意味があって生まれてきます。
命とは、「役割」です。
その人にできる、その人のすべてを賭けられるモノやコトが、それぞれにあります。
それに触れている時、人は「ああ、生まれてきて良かった」と想えるのです。
その瞬間は、どんな富や財産よりも、かけがえのない価値があります。
生まれてきたということは、誰もが役割があり、そこには本当の喜びがあります。

そして、死ぬことにも意味があります。
現代では、死んだらすべてが終わると、考えられています。
でも実際には、死んでも続くのが生命です。
漢字の「誕生」という字は、「偽の生」という意味があります。
昔の人は、この世界でどう生きるかが、死んでからの財産になると考えていました。
死ぬことは終わりではなく、そこからも永遠に続いている。
そう、考えるのなら、今だけの欲では満足できないはずです。
自分の命をもっと大切にしよう、そして、自分以外の命もすべて意味があって生きているのだから、もっと大切にしようと想えます。
「生」と「死」への考え方が見直されたら、自分や他人、自然環境への接し方も変わります。
そして、生も死も意味があるのだから、肉体が滅んでも意味があるのだから、もっと見えない存在に対しても感謝の気持ちを持とう。
そう想えます。

自分や他人、他に存在する命を、どれだけ大切にできるか、それが価値の中心になります。
そして、それと共に存在している見えない存在への感謝。
それが、僕が願っている「グレイス主義」です。
グレイスとは、目に見えないもののご利益や、人の優しさや自然の美しさなどをいいます。
よく考えてみたら、どう考えても、どれだけ考えてみても、それ以上のものは無いはずです。

いつか、たった1%の人が全世界の96%の富を所有するという、この世界の資本主義がいかに幻想であったかに、世界中が気付く日がきます。










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2015年10月19日
黄金の国、ジパング。
その昔、マルコポーロが中国に渡り、そこで聞いた話を西洋に伝えた中で、日本を称してそう呼んだといわれています。
12世紀頃、奥州藤原氏は多くの金を産出し、中尊寺金剛堂をはじめ、金の装飾の建物が多く存在していたといわれています。
「黄金の国ジパング」という名は、世界から興味を持たれました。

日本には、そこに輝く本当の黄金があります。
ある人は、言います。
「日本には、それだけ多くの金が埋蔵されていたのだ…。」
「黄金とは、黄金色に輝く稲穂を意味するのだ…。」

でも、本当の黄金は、「日本人の心」です。
争わない心、裁かない気持ち。
モノを持たなくても幸せだと想える感性。
太陽や水、大地や草や花、森や川やそこで暮らす生き物への敬意。
目に見えないものを崇めることができる霊性の高さ。
弱いもの、小さいものへの愛。

それが、日本に在る本当の黄金です。
それこそが、本当の財産です。
それは、日本人だけが特別なのではなく、すべての人があわせ持った共通の財産です。
その上で、日本という国は、大陸から程よく離れているという特別な環境がありました。
民族間の争いが無く、文化を侵されることもなく、「和」を重んじることができる、特別な生活空間です。

誰かと比べないから、自分を愛することができます。
どこかと争うことが無いから、穏やかに今を生きることができます。

世界中がそうなれば、地球は「黄金の星」です。













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2015年10月15日
仏の教えでは、「四苦八苦」という言葉があります。
生老病死からなる、この世での様々な苦しみのことです。
この苦を、言語であるパーリ語では「ドゥッカ」と呼び、「思い通りにならないこと」という意味を持っています。
日本語の「苦」について言えば、草冠は、大地から芽生えてくるものを表します。
古は、先祖の頭蓋骨を意味し、そこから転じて古く固い器を意味するようになりました。
そのような草を、苦菜と呼び、苦いから転じて苦しみを含む意味になったと言われています。
でも本当の意味はすべて、字体の中に隠されています。
「苦」という文字が持つ本当のメッセージは、大地から芽生えてくる古く固いもの。
普通、草や木をはじめ、大地から芽生えるものは新鮮で柔らかなものですね。
苦とは、「矛盾」ということです。

もっと、生きていたいのに、死はおとずれます。
いつまでも若くいたくても、老いは進んでいきます。
言い換えれば、早く死にたくても生き続けることも苦です。
子どもが早く大人になりたいと思っていても、ゆっくりと歳をとることも苦かも知れません。
苦は、私たちが望むことと矛盾する反対のことを受け入れなければいけないことを言います。
生老病死という苦を受け入れるのならば、生まれて生きてゆくこと、老いることも病することも、やがては死にゆくことも、すべてを愛するということです。

苦があるから、望みを叶えたいと想い、人は工夫をしたり学んだり、成長しようと心を磨こうとします。
さらには、苦を受け入れようとして器を広げようともします。
苦を経験することで、この世の様々な苦を見つめ、他人の苦を共感できるようになります。

「楽」が、楽しいということではありません。
「苦」が、苦しいということでもありません。
楽の中にも苦しみはあり、苦の中にも楽しさがあります。

だから、どんな人生も素晴らしいのです。















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2015年10月14日
仕事の定義、それは「意志」です。
意志があるところに、仕事があります。
だからこそ、私たちは働くことが仕事です。
働くとは、「傍を楽にする」ということです。
子どもは、遊ぶ中に意志があります。
だからこそ、幼い頃は精一杯に遊ぶことが仕事です。
学生は、学ぶことの中に意志があり、それが仕事です。
そこに意志がなければ、遊んでいても、学んでいても、働いていても、仕事ではありません。
働いていても、労働と、職業と、生業と、仕事には、大きな差があります。

「意志」とは、何でしょうか?
意は、発信源であり、志は、向かう行き先です。
スタートがあって、ゴールがある。
だからこそ、私たちは仕事に夢を見ることができて、生き甲斐を感じることができるのです。
ゴールのないマラソンほど、つらいものはありません。
刑罰でも、穴をただ掘らせて、それを埋めさせて、また掘らせるというものが、受刑者にとっては最もつらいと聞いたことがあります。

意志があるからこそ、目的が生まれ、生き甲斐が育ちます。
生き甲斐があるからこそ、満足感があり、仕事の中に幸福を感じるのです。
幸福を感じるからこそ、人は誰かの幸福を応援したくなります。

そんなふうに、毎日の仕事を感じることができましたら幸せですね。
例えば、毎日の日向ぼっこやお散歩でも、意志があるのならばそれもまた仕事です。
眠っていても、食べていても、ただひたすらに海を眺めている時間でも…


















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2015年10月13日
「怒り」が、争いを生み出しているわけではありません。
例えば、赤ちゃんがお腹がすいているのに、お母さんが気付かないでいます。
おっぱいが欲しくて、泣くとします。
この時、怒りは必要です。
私たち大人であっても、理不尽なことが目の前に起きた時に怒りが湧いてくるのは必然ですよね。

怒りの反対は、「受容」です。
すべてを受け入れるだけが、人生の醍醐味ではありませんから。
時には、怒りも役に立ちます。
怒りがあるから、私たちは学んだり、成長しようとしたり、そんなこともあります。
「怒り」は、行動を促進させるために必要な後方支援です。
怒りがあるから、言えないことを言えたり、
臆病であっても立ち向かえたり、
長い距離を走れたり、重いものを持ち上げたり、
分厚い本を読めるようになったり、
困難な関門を乗り越えることも、時にはあるはずです。
健全な怒りって、美しいんですよね。

争いは、「自己否定」の感情から起こります。
自分を否定するがあまりに、それから逃れようとして誰かを否定します。
誰かを否定するために、誰かと誰かを争わせようとします。
個人間では、仲間外れとか、噂話とかもそうですね。
国家間では、戦争を生み出します。
今の戦争で、個人間や国家間で、当事者同士が問題を起こしているものはほとんどありません。
人は、自己否定の気持ちがあるから、人を支配したがるのです。
自己否定の反対は、「愛」です。

「愛」⇔「自己否定」
「怒り」⇔「受容」

愛のある自己否定はあり得ませんが、愛のある怒りは美しいものです。
今の時代、愛のある怒りが必要な気がしています。













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2015年10月06日
生かされて、生きてきた。
生かされて、生きている。
生かされて、生きてゆく。

生きてゆくと、言葉を想うだけで、エネルギーが湧いてきます。
それはまるで、自然界にある色々な命らと、共感をしているような感覚です。
この世界にあるものは、みんな、絶えず動いています。
ゆく川の流れは絶えずして、また、もとの水にあらず。
それは、私たちの生きている時の流れも同じです。
水たまりなどで、滞っている水は腐り始めるが、流れる川の水には淀みがありません。
私たちも、できればそうありたいものですね。

生きているということは、今を、生きているということです。
生きてゆくということは、今生を、生きてゆくということです。
それは、過去も未来も今も、すべてを同時に生きてゆくということです。
私たちは、個ではなく、和であります。

生きている、より、生きてゆく。
学んでいる、より、学んでゆく。
働いている、より、働いてゆく。
一語を変えるだけで、何だか、楽しくなってきます。













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2015年09月30日
春の匂いは、咲き誇る花の香り。
初夏の匂いは、生い茂る草の香り。
秋の匂いは、芳醇な実りの香り。
冬の匂いは、凛とした土と空気の香り。
どの季節も、豊かな命がそこに宿っていて、美しい景色が広がります。

花に香りがあるのなら、種にも香りが有るのだろうと、小学生の頃に朝顔の種を剥いてみました。
すると、かすかな樹液のような匂いがするだけ。
あの花の甘い香りはありません。
ふと、心も同じだなって、その時に想いました。
花の香りは、花粉を蒔くために、生き物たちと共存するもの。
人の言葉や表情は、まるで花のよう。
そうそう、「言葉」の語源も、言の花です。
美しく、共に調和をはかるもの。
その言葉の奥には、その人だけの、心の香りがあります。
それは、無言でも、言葉多きでも、同じように伝わります。
だとしたら、やわらかい香りでいたい。

そして、ほのかな香りを感じられる人でいたいものですね。
2015年09月28日
沈む夕陽のオレンジに 群れをなす渡り鳥
はるか遠くのあの空は あなたにも見えていますか
駅からの帰り 道の傍には曼珠沙華
あなたのようでした あなたの笑顔のようでした

秋が深まると想い出す あなたと歩いた公園
赤く微笑む曼珠沙華 二人を祝福してくれた
ラジオに流れる相撲中継 あなたは好きでしたね
若乃花は勝ちましたよ 大相撲でしたよ

この詩は、高校時代の友人が授業中に書いていたものです。
きっと、亡くなった好きな人を想い出す、一人の女性の心。
70年代のフォークソングのような感じですね。

今朝、ランニングをしていたら道端に曼珠沙華。
赤く微笑むその花を見ていたら22年前を想い出しました。
汗を流すこと、感性を磨くこと。
そんなことばかりに、情熱を注いでいました。
今は、学生服がスーツになって、自転車が自動車や新幹線になっただけのこと。
結局、人はあんまり変わらないんですよね。
言い換えれば、どんなに幼くても、もう大人と同じようにいろんなことを考えているということです。

皆、大人で子供…。
子供で大人…。








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2015年09月03日
今日は、所要で法務局に行きました。
待ち時間に流れていたテレビ番組に、とても心が打たれましたのでご紹介をさせていただきます。
「難病を乗り越えて、会社を立ち上げた方々」の特集です。
彼は、妊娠10か月の頃に難病とわかり、生まれてきても5歳から10歳までしか生きられないだろうと言われたそうです。
脊椎性筋萎縮障害というものだったそうです。
そして、家族の献身的な支えの中で、今は23歳までなりました。
彼が19歳の時に、会社を立ち上げました。
パソコンを使っての、ホームページつくりや、名刺の作成などの会社です。
最初は、給料は1万円ほどだったそうです。
口コミによって、今では全国に広がりました。
今では、25万円ほどを稼げる月もあるそうです。

彼が動かせるのは、右手の親指を1センチほど、左手の親指を数ミリです。
それでも、マウスを動かしながら、多くの作品を作成していきます。
お母さんは、朝起きると、彼の横になるポジショニングと、パソコンの位置関係を設定することが仕事と言います。
親子の二人三脚で、ここまで歩いてきて、今では「21世紀の未来を創造するベンチャー」のトップランナーとして、注目を浴びています。

彼には、デザインを担当する仲間もいます。
彼も、生まれながらの難病患者でした。
幼少期には、学校に行きたくないと引きこもりがちになり、家族は荒れていたそうです。
そんな時に、お母さんは病気にもなってしまい、やがて気付いたと言います。
「先のことを考えて悩むよりも、今を笑って過ごそう。」
それから、家族は生まれ変わったそうです。
笑いの絶えない日々を送るようになり、お子さんは力強く成長していかれたと言います。

彼らは言います。
「感謝をするだけではなく、恩返しをしたい。」

1万円の給料を4か月貯めて、お母さんに時計を買ったそうです。
そのことをコメントしている時のお母さんのお顔は、とても幸せそうでした。

感謝をする素晴らしさ、そしてその先にある恩返しをする素晴らしさを、教えられたように思います。
















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2015年08月26日
仕事の帰り道、車を運転しながら懐かしい曲を聴いたりします。
音楽の良いところは、メロディーと共に流れる歌詞にあると思っています。
言葉から膨らむ世界は、曲と一緒に心を揺さぶります。
思い返せば、僕も学生の頃は詩人になりたいと思っていました。
授業中とか、仲間と共に詩を書き合っていて、放課後にお互いのを読んだりしていました。
あの頃の仲間は、優しさに気付くこととか、悲しみに繊細でいられることとか、そんなことを高め合うような会話ばっかしていました。

詩を描くということは、日々を詩のように生きるということです。
何気ない風景や出来事を、水のように透明に受け止めて、そこから広がる世界を文字に乗せていくということです。

そして今、振り返ってみると、僕は同じことをしています。
商品をつくるということは、詩を書くことに似ています。
石や水、その配合や組み合わせ、デザインや形状、それによってメッセージが生まれます。
使ってくださる方の心と体に、どう響くのかをいつも考えています。
今、最高にお伝えしたいものが、パウダーです。
浮船先生が開発して下さった“BBパウダー”を基に、色々なものをブレンドすると働きが変わります。
働きが変わるので、あらゆるお悩みに対してお伝えするものが変わってきます。
この方には、こんなものを…
あの症状には、あんなものを…
一つ一つ考えていると、他のことが手につかないほどです。
だから、日記を書くのもたまにになってしまいます。
日記を書くのもメッセージですが、商品を創るのも同じようにメッセージなんです。

生きている限り、時は流れていきます。
時が流れているのなら、確実に積み重なることをしていきたい。
それは、ただ個人である前に、地球とか、人類とか、もっと大きなものに役立つことを積み重ねていきたい。
そのメッセージを込めて、ジェンティは商品をお届けしていきたいと思っています。

気になるカ所に塗っていただければ、痛みや悩みの原因が消えていく…。
化粧仕上げの、パウダーファンデーションにもなる。
毎日使っていると、何だか体が軽く、いつも元気。
何かに混ぜて使うこともできる。
そして、流れる排水が地球の環境をきれいにする。
今、そんなパウダーをお届けしたいと創作活動をしています!










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2015年08月14日
明日は、終戦記念日です。
太平洋戦争の終結から、今年は70年を迎えます。
今から五年前、戦争を振り返るという意味で、一つのドラマが放映されました。
タイトルは、『歸國(きこく)』。
ビートたけし、長淵剛、小栗旬、向井理らが出演し、その他そうそうたる顔ぶれが脇を固めます。
僕は、このドラマを観ていません。
観ていないから、イメージだけでメッセージを膨らませてしまう。
映画とか、一枚の絵画とか、内容を知らないからこそ、想像だけで感動することってありませんか?

終戦記念日の深夜、東京駅にダイヤには無い軍用列車がやってきます。
それは、60余年前に南海で散った英霊たちを乗せた列車でした。
彼らの使命は、平和になった日本の現状を南海に眠る戦死者の霊に伝えること。
彼らは、夜明けまでのわずかな時間、今の日本を見て、様々なことを感じていきます。

命をはり、日本の平和と、日本国民の幸せを願い、彼らは惜しむことなく南海で散っていった。
そして今、日本は平和になっています。
しかし、その平和は、彼らが望んだ形でしょうか?
若者は、今の楽しみの為だけに生きている。
ボタン一つで富を得るもの、すべてを失うものもいます。
親は子を捨て、子が親に暴力を振るい、年寄りを敬うこともない世の中。
誰かや何かのために生きることが、まるで罪悪のようにとらえられる。
それらは、彼らの望んでいた「幸せ」の形でしょうか。

「平和」にはなったけど、「幸せ」には遠い。
「幸せ」になるためには、成功を求めるがゆえに「平和」ではない生き方をする。
または、誰かの「平和」を奪うことでもする。

僕の知っている方々は、人生の達人が多い。
何も無くても幸せで、今を生きている日々を心から喜んでいます。
何で、彼らは幸せなのでしょうか?
「役割をまっとうしているから。」です。
親は親らしく、子は子らしく。
男は男らしく、女は女らしく。
何よりも、その人がその人らしく。

チェ・ゲバラは、「趣味は革命」と言ったが、彼はそこに自分の役割を見出していました。
戦争はもちろん、あってはいけないことです。
戦争を望む人たちの心理は、その中に自分たちの役割を投影できるからです。
私たちは人間ですから、そこに役割を見出す必要はありません。
戦争では、人間は「人間を殺すマシーン」になるということです。
そんなことは、あってはいけません。
でも今の社会、勝ち組や負け組という言葉があるように、人間は「人間を踏み台にして生きていくマシーン」になっています。

私たちの本当の役割は、「誰かや何かのためにできること」をまっとうすることです。










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2015年07月24日
今朝、久しぶりに近くにある公園を走りました。
陽射しに透けて、木々の緑が硝子のように輝きます。
セミの声、白い雲、パールブルーの空、夏の朝はいつもこんな感じです。
僕は、本当はこうやって、何気ない一日をただ生きることが好きなんだと思います。
朝は走って、汗を洗い流してゆっくり湯船につかり、昼は料理をしてふるまい、午後は仕事をする。
夕方には一日を振り返り、夜は日記を書く。
早く寝て、日が昇る前に目を覚ます。

そんな生き方が理想で、学生時代や若い頃は、そうやって多くの日を過ごしていました。
そんなことを、今日は思い出しました。
最近は、追われるような日々の中で、季節を見ることも忘れていたのですから。

季節は、とても美しいんです。
それを見るためだけに生きたとしても、それはとても素晴らしい生き方です。
夏の間は、木々の緑や空の青に包まれているだけで、最高のロケーションです。
秋になれば、少しの肌寒さと、夕焼けや茶色に染まる葉木に、また美しさを感じることができます。
冬になれば、灰色の空と、凛とした空気、夜が更けるのが早いから、温かいシチューが恋しくなる。
それはそれで、なんだか楽しい。
春になれば、いつもの公園は桜色に染まり、これから何かが始まりそうなワクワクを、胸に抱かせてくれます。

好きな季節があるというよりも、好奇心があればどんな一日も楽しくなります。
それは、すべての一日の中に、季節の美しさを感じれるということです。
例えば、砂漠の国に行った時も、そこで暮らす彼らは「砂は美しい。」とか、「ベリーナイス、シー(海)。」とか言っていた。
そこで生まれたことを喜び、そこで見る景色を愛していました。
きっと、エスキモーからすれば、氷に包まれた自分たちの生活の中に、大地の美しさや暮らしの喜びを感じているでしょう。

どこで生まれても、どこで暮らしていても、世界はいつも美しいんです。
だから、世界は必ず平和になります。













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2015年06月22日
病気には、「原因」と「症状」という2つのことが言われています。
原因があって、はじめて症状があります。
例えば風邪、熱が出る、鼻水が出る、咳が出るということは症状です。
それは体内に溜まっている毒素を、熱によって燃やして、鼻水によって洗い流して、咳によって払おうとする行為です。
症状は、今の現状をより良くするために起こるという、浄化現象に過ぎません。
体内に溜まっている毒素が原因であって、症状はそれを改善するために表面に出ているのです。

では、花粉症の原因は何でしょうか?
花粉は・・・要因です。
要因とは、引き金のことです。
花粉が入ってきても、体内に毒素が溜まっていない人は花粉症になりません。
花粉症にとっての花粉、アレルギーにとってのアレルゲン、ガンにとっての発ガン物質も、すべては要因であって、原因は心と体にあります。

この、原因と要因の違いについて、理解しておくことも大事なことですね。
今の医学では、要因だけを抑えようとしていることがほとんどです。
要因のさらに奥にあるモノは、心と体です。
そして、心と体のさらに奥底にあるモノは、見えない波動的なもののかかわりもあります。
人間関係や、仕事の在り方や、毎日の行いや言動、それらがどう影響を与えているかです。

そう考えると、一つの病気をとってみたとしても、奥が深いものですね。
僕の今の目標は、それら全てを通して、あらゆる病気の根本からの解消をしていけることです。

病気を通して、人生が今よりも良くなるための気付きを、客観的に科学的に見極めていきたいと思っています。
科学とは、「再現性があるということ」です。
目に見えないことであっても、何度やっても、誰がやっても同じ答えが出るのならば科学です。

そうして、病だけでなく、戦争や公害でさえも、根本からの解消をしていけたらと思っています。








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