私たちは「地球のお医者さん」です。
ジェンティは、「その人がその人らしく」を応援しています。 ジェンティに関わることで、誰もが自分らしく、 美と健康と生き方を通しての「幸せ」はもちろん、 「仕事」を通しての「成功と幸せ」も、いっぱい味わっていただきたいと想います。 そのために、今は思いっきり準備をしております^^ 共鳴していただける方は共に、 人と地球に優しい、本当の意味での「幸せと成功」を共に歩みましょう。
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2015年05月22日
御開帳で話題を集めている長野県の善光寺とは、いったいどのようなお寺なのでしょうか?
それは、「一光三尊如来像」が祭られている、あらゆる宗派に属さないお寺です。
そのため、宗教を選ばずに受け入れるので、世界中から人が訪れます。
「一生に一度は、善光寺詣り」と、古くから言われるように、万人が訪れます。
なかでも、神社仏閣は女人禁制と言われていた江戸時代では、「女人救済のお寺」とも言われていました。

一光三尊阿弥陀如来とは、阿弥陀如来そのものの御力に溢れた、命の宿っている仏像です。
2500年前のインドのビシャリ国には、ガッカイ長者という者がいました。
当時、疫病が蔓延した際に、娘のルリ姫の病を治すため、お釈迦様からの教えにより、ガッカイ長者は一心に阿弥陀如来にお祈りをしました。
そうして降臨した阿弥陀如来の光によって、ルリ姫の病と国の疫病が消えました。
その際に、阿弥陀如来自らの御力を乗り移らせたのが「一光三尊阿弥陀如来像」です。
それはまさに、「魂の癒し」のための像です。
魂の癒しとは、病を癒し、命を救うこと。
亡くなった際に極楽浄土へ導いてくれるということ。
そして、もうすでに亡くなっているご先祖さまや水子らの御供養をしてくれるということです。

それが時を経て、インドのガッカイ長者から、百済の聖明王へ、そして日本の本田善光へと、縁によって結ばれてきました。
その後に、本田善光の故郷である「長野県」に、一光阿弥陀如来像が祭られるようになりました。

それから1500年間、阿弥陀如来像は「庶民救済」「女人救済」「先祖供養」「魂の救い」をテーマに、多くの人々に御光を与えてきました。
この如来像は、絶対秘仏と呼ばれており、基本的には人々の前に姿を見せません。
しかし、7年に一度だけ、そのレプリカが公衆の面前に現れるのが「御開帳」です。

そして、阿弥陀如来の右手に結ばれた「善の綱」は、境内の「迎光柱」へとつながっています。
この迎光柱に触れるということは、「阿弥陀如来と指切りげんまん」の意味があるということです。

2015年05月11日
こんばんは。
ゴールデンウィークが明けて、春から一気に夏へと移行したような陽気になりましたね。
いかがお過ごしでしょうか?
私たちは、5月3日~4日と5日~6日の二回に渡り、善光寺に会社の仲間の皆様と共にご参拝ツアーに行ってまいりました。
今回は、5月3日~4日のご参拝でのお話をさせていただきます。

四日市からと京都から、2台のバスが出ました。
四日市のバスには男性の方々も多く見えましたので、行きのバスの中ではたくさん語り合いました。
善光寺のことについて、人生について、色々とお話ができることはとても気付きがいただけて有難いですね。
お昼過ぎに到着すると、もう善光寺はたくさんの観光客の方がお集まりでした。
56日間で、約600万人が訪れると言われているだけあります。
特に、ゴールデンウィークの中日であるこの日は、18万人近く訪れていたそうです。
皆様は、色々と町を探索にお出かけになったようですが、僕は一人で本堂へお参りをし、その後は宿坊にてゆっくりさせていただきました。

夕方になると、京阪神グループのバスも到着です。
全員が揃うと、宿坊「渕の坊さん」にてご供養とご祈願のお話です。

善光寺には、「一光三尊阿弥陀如来像」というご本尊がいます。
それは、亡くなった方や、いま生きている私たちの魂を癒す仏様です。
善光寺でご供養と御祈願をするということは、生きている私たちを救うと共に、亡くなっているご先祖様やご縁のある方々を救うことができると言うことです。

その後、渕の坊さんで大人気の精進料理をいただきます。
精進料理をいただくということは、お祈りをする前に体を清めておくということです。
肉や魚を食べていると、吐く息が生臭くなり、仏様が近づけなくなります。
ですから、血肉を食べた後の生臭い息でお祈りをしていても意味が無いので、そういうお坊様を「生臭坊主」と言います。
そんなお話をしていましたら、とある方から「加齢臭は大丈夫なのでしょうか?」
というご質問がございました。
「仏様もそれなりのご年齢を積み重ねている方々でしょうから、きっと大丈夫ですよ」と、お隣の方がお応えされていました。

翌朝は、目玉である「御開帳」と「御朝事」という法要があります。
集合が朝4時であるために、すぐに就寝しました。

翌朝は、凛とした肌寒さと、透き通った空気に包まれて、夜明け前の闇が私たちを迎えてくれます。
朝の四時だというのに、本堂の前にはもう行列ができていました。
そして、本堂の前の列の中の私たちの周辺だけを、風が包んでいます。
それは、御力が、降りてきていることを意味しています。
善光寺だけでなく、伊勢神宮などでも、御力が降りていると風により布がなびくと言われています。
他の木々や昇りは揺れていないのに、私たちの周りだけを風が包んでくれています。

そして、朝5時半になるといよいよ「御開帳」の始まりです。

ここまで書かせていただいて、やっと気付いたのですが「御開帳」とは何かを書かないと、お読みの方に通じにくいように思いました。

そこで、次回はまず「御開帳」とは何かというお話をさせていただきたいと思います。

南無阿弥陀仏。







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2015年04月22日
「赦す」と「許す」は、少し違います。
許すは、「良いですよ。」という、許可を意味します。
それに対し、赦すは、罪を赦すということを意味しています。

「相手がこうしてくれたら、その罪を赦してあげるわ。」
というのは、赦しているのではなく、罪に執行猶予を与えているだけです。
「今は赦すけど、同じことをしたら赦さないわ。」
というのも、同じように執行猶予の求刑をしているのと同じです。
本当に赦すということは、過去と未来と現在の、すべてにおいて赦すということです。

どうすれば、私たちは罪を赦すことができるでしょうか?

赦すの定義は、「共犯を認める。」です。
あなたが私を傷つけたのは、私にも原因があります。
だとすれば、私は共犯者です。
共犯者が、相手を裁くことはできません。
「赦さざるを、得ないのです。」
どこかの国で、誰かが誰かを傷つけました。
私たちも、廻りまわっての、共犯者かも知れません。
裁くことはできないのです。

国と国が、人と人が、誰もが誰かを、裁くことはできないと気付いたら、もう少し居心地のいい世界になるかもしれないですね。

私たちは、「赦さざるを得ない。」中で生きていて、
誰もが、「裁かれざる者」なのです。







2015年04月13日
定義は、解釈とは違います。
どこであっても、誰であっても、通用する、普遍的なものが定義です。
数学が真実と言われるのは、変わらない定義であるからです。

世界平和には、定義があります。
「自分を愛すること。
他を愛すること。
世界を愛すること。」

世界中の人がそう想えたら、本当に素晴らしいことですね。
でも、私たち一人一人からまずは想えるのなら、それも同じように素晴らしいことです。

朝起きたら、こんなふうに唱えてみましょう。
「私は、自らの幸せを祈ります。
私は、他の全ての存在の幸せを祈ります。
私は、世界の幸せを祈ります。」

眠る前には、こんなふうに唱えてみましょう。
「私は、自らを愛します。
私は、他の全ての存在を愛します。
私は、世界を愛します。」

たった数秒で出来る、この言葉を唱えてみると、きっと素敵なことが起こります。
よかったら、やってみてくださいませ。






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2015年03月28日
三月は、大好きです。
少しずつ温かくなってきて、心と体が目覚めてくるような気がします。
四月は、大好きです。
桜が咲いて散り、何か新しいことが起こる予感でいっぱいです。
五月は、大好きです。
模様替えをして、今にも走りだしそうなわくわくに包まれます。
六月は、大好きです。
陽射しを雲が包んでくれて、少し立ち止まって自分を見つめたくなります。
七月は、大好きです。
青葉に囲まれて、自然の生命力にあふれています。
八月は、大好きです。
朝から晩までの蝉しぐれと、夜の深さに心が湧きます。
九月は、大好きです。
夏の暑さがやわらいで、少し自然の風を感じたくなります。
十月は、大好きです。
読書や運動や食欲や、何をやってもはかどるような陽気に恵まれます。
十一月は、大好きです。
夕暮れが早まり、海や空や枯草や、何気ないものの美しさに目が向いてしまします。
十二月は、大好きです。
年の瀬のあわただしさと、一年を振り返るうきうきがあります。
一月は、大好きです。
一年の始まりの凛とした感じと、これからの自分の目標を意識します。
二月は、大好きです。
寒さと温かさの予感とが交互にあり、内側を見つめ外側への期待が高まります。

一年中、僕らは季節という奇跡の中にいます。





























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2015年03月14日
昔々、あるところに、孤独の神様がいました。
彼は、自分以外のものの幸せを願い続けていました。
ある頃から、彼には不思議な力が宿りました。
それは、人の願い事を叶えるという力でした。

孤独の神様は、その力を手に入れてからはもう、毎日喜んで人の願い事を叶えていました。
「私は、自分の願いがありません。
あなたの願い事を一つ、叶えることができます。」
「では、私の病を治してください。」
するとたちまち、願いをした者の病は癒されました。
次の日も、神様のもとに人が訪れます。
神様は言います。
「私は、自分の願いがありません。
あなたの願い事を一つ、叶えることができます。」
「では、私が失ってしまった人間関係を戻してください。」
しばらくすると、彼には失ってしまった人間関係以上の人々が集まりだしました。
ある者は、「私に、財を与えて下さい。」
ある者は、「私は、家族をつくりたい。」
ある者は、「私を、美しくしてほしい。」
願い事をした者たちはみな、それが叶って喜びました。

ある時、ある親子が神様のもとに現れました。
神様が言いました。
「私は、自分の願いがありません。
あなたの願い事を一つ、叶えることができます。」
先に、娘が願いを言いました。
「私の願いは、世界平和です。どうか、世界を平和にしてください。」
次に、母親が願いを言いました。
「私の願いは、神様が幸せでいることです。
神様が幸せでいられますように、その願いを叶えてください。」
それ以来、少しずつ世界は平和になりました。
日々の日常では気付きにくいくらいの、ゆっくりの歩みで世界は平和になりました。
そして、それ以来、神様は幸せになりました。

神様は、それまでも人の幸せを願うことで幸せを感じていました。
しかし、他人から幸せを願われることで、ますます幸せになることができました。
そしてまた、その親子も幸せになりました。
世界が平和であることを、喜べるからです。
神様が喜んでいる姿を、見ることができるからです。

幸せには、人それぞれのいろいろな幸せがあります。
しかし、その本質には、3つの種類があります。
1. 他人から、「幸せ」だと思われる幸せ。
地位や名誉を得ることで、他人から幸せなんだろうと認めてもらう幸せです。
2. 他人から、「幸せ」を願われる幸せ。
無条件で、自分の幸せを願ってくれる人がいる幸せです。
3. 他人の、「幸せ」を願う幸せ。
無条件で、誰かの幸せを願える幸せです。

だから、世界の平和は実現するのです。
もう、世界は平和になり始めているのです。











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2015年03月11日
翠と書いて、「みどり」と読みます。
汚れのない青みどりのような色を指します。
翡翠の「翠」は、まさにこの色のことです。

空と自然の植物たち。
そこを飛び回る鳥が、自らを守る意味で翠色に染まっていきました。
翡翠は、元々は鳥の羽根の意味していました。
それと同じように輝く石は、不思議な意味とパワーを持っていました。

自然と共鳴している。
だから、翡翠を身に付ける者は天気をも操られると、昔の人は信じていました。
今でも翡翠を持つことは、心を落ち着かせ、その人がその人らしく、自然体でいられるパワーがあります。

良かったら、美しい「翠色」の翡翠を身に付けてみませんか?
自然体の自分自身が、みなぎってくるかもしれませんよ。







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2015年03月01日
例えばミロのビーナスは、両腕が無いことで永遠の美を完成させました。
見えないからこそ、見ているものが想像を膨らませる。
それは、言葉が少ないからこそふくらみが生まれる俳句にも似ています。
僕らの生活には、案外そういうものが多くあります。
わからないからこそ、考える。
考えるからこそ、真実に近づける。
近づけても、近づけても、永遠に探し続ける。
それが、答えだったりします。

僕は、スマートフォンやパソコンは、子供には必要ないと思っています。
それが溢れている今の時代は、かえって不幸だとも考えている。
それらは、答えがすぐに却って来ます。
コンピュータは、ボタンを押せばすぐに教えてくれるから。
でも本当は、問いを伝えても、答えが返ってこないような人間模様。
そんな中で、学んでいく「想像力」があります。
百人一首なんかは、その典型ですよね?
「今、相手は何を考えているのかな…」
「困っていたりしないかな?」
「あの時の言葉は、どう受け取られたかな…」
一人で悶々と考え続けること。
心は、コロコロ変わるから、「こころ」です。

コンピュータの画面の向こうには、情報がこれでもかってほどに渦巻いています。
「知っているけど、わからない。」
そんな世界が広がっている。
例えば、ゲームの中で人を殺しても、リセットボタンを押せばまた生き返る。
でも、一度失った命が生き返ることは、絶対にありません。
それに、人間の心にはわからないことが多い。
自分の心ですら、わからないことが多いでしょ?
僕らは、わからないことがあるから、苦悩する特権があります。
思い通りに行かないから、考える才能があります。

だから、完璧なんです。
ダメでみっともなくて、どうしようもない…
そんな中に、人間としての完成があるのかも知れませんね。
だから、未完成なことに、胸を張ってやってくださいね。






2015年02月28日
毎日が追われるように生きていると、通勤の電車の中が安らげる場所であったりします。
最終電車で、吊革に持たれながら半分眠っているサラリーマン。
彼らは、家族や会社や社会のために、身を粉にしている。
その姿を見ると、胸が締め付けられる。
でもたまに、何だかホッとするときがあります。
やりたくない仕事を一生懸命頑張ることは苦しいことだけど、そこに誇らしいぬくもりもあります。
サラリーマンがいるからこそ、今の日本があります。
彼らは、世界の宝じゃないかなって想っています。

そうそう、今年は、そんな男たちがより美しくなる「男性向け化粧品」をラインナップしたいと思っています。
昨夜、家に帰ると工場から試作品が届いていました。
眠る前に使ってみました。
朝起きるのが、まず楽でした。
きっと、気持ちが楽になるような感覚。
寝起きの顔を見ると、スッとしていて、むくみが取れているようでした。

使うことで、心の疲れも取れるような男性向け化粧品。
もちろん、BBパウダーや酵素やヒメガマも入っています。
流した水が、地球の環境にも優しい。
お父さんたちだって、本当は美しいんだと、胸を張っていただきたいんです。








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2015年02月27日
よく考えたら、僕はこれまでお金をかけて何かを学んだことはほとんどありません。
小学校の頃の公文とか、それくらいです。
だから逆に、人様に何かをお伝えさせていただくのに、お金をいただこうと思えません。
「セミナー業」という、人を教えることを商売にすることに抵抗があるのは、人が人を教育するのは、無償の善意であるものだと僕は思っているのでしょう。
子どもの頃に学んだものは、「ドラえもん」とか「キン肉マン」といったヒーローもの。
大学生の頃は「人間交差点」とか「家栽の人」とか、生き方を教えてくれるドラマ。
そこには、優しさや、強さ、勇気、冒険心…
かけがえのない宝物がたくさん散らばっています。
そこで教わったものは、僕の社会での生き方に大きく役立っています。
最近はまっているのは、「絵本」です。
以前にも書きましたが、「こころの不思議」という小学生1・2年生向きの本は、ここ10年で読んだどんな学術書よりも勉強になりました。

なぜなら、そこに「愛」があるから。
「おしえ」の語源は、「いとおし」です。
愛を伝える行為です。
今も、大先生とお話させていただくにも、とても大切な教えを無償でいただいています。
そこで得たものを、無償の精神で世界や社会に返していきたいと思っています。













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2015年02月26日
「慈」の字源は、小さな草が芽生えていることを愛でる心、から来ています。
私たちも、小さいながらも精一杯生きているものを見ると、愛くるしい気持ちがこみ上げてきますね。
例えばそれが、小さな青い花であったり、赤ちゃんであったり、子犬であったり。
でもそれは、大人だって本当は弱い。
偉人と呼ばれているような人も、一人になったら小さくて弱い存在かもしれない。
地球だって、もしも感情があるならば弱い存在かもしれないですよね。

この世界に存在するすべての存在が弱いと感じられれば、すべてに慈しむ気持ちが湧いてきます。
そうすれば、誰かと戦わなくて済むでしょう?



2015年02月25日
僕が高校教師の頃、盛んに「学級崩壊」という言葉が使われていました。
生徒が落ち着かずに席を立つ、それが蔓延して授業にならない。
その頃から、学校の役割は少しずつ変わっていったように思います。
今、ほとんど「学級崩壊」という言葉は使われません。
「学級崩壊」が無くなったからではなく、それが当たり前になったからです。

1970年代、「ノンポリ」という言葉がありました。
ポリシーを持っていないという意味で、新しい生き方を意味しました。
でも今は、その言葉は使われません。
全員が、ノンポリだからです。

言葉は、全員がその状態になると、必要がなくなるから消えていく。
「幸せ」という言葉も、使っているということは、それが実現されていないということです。
「足るを知る」という言葉さえ、全員が足るを知ってしまえば、無くなっていくでしょう。











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2015年02月24日
悲しいという字は、左右に心が引き裂かれるという様子を意味しています。
誰にでも、そんなときってありませんか?
心が引き裂かれるような、針で刺されるような感覚。

それから逃れるには、3つの方法があります。
1つ目は、自分自身を麻痺させること。
麻痺させるということは、痛みも感じにくくなりますが、幸せを感じることもできません。
2つ目は、悲しみの原因から逃げること。
そのときは逃げることはできても、また次の悲しみがやってきます。

3つ目は、悲しみ以上の愛を見つけること。
愛の分だけ、悲しみは昇華されます。
愛は、心を潤す清い水のようなものです。
愛には、色々な形がありますね。
目に見えてわかるような、誰かと分かち合える愛。
人知れずそそぐ、無償の愛。
暮らしの中にある、ささやかだけれど確実な、小さい愛。

愛を見つけた分だけ、人は悲しみを癒される。
愛と悲しみは、ヤジロベーの両端のようなものかもしれない。
だとすれば、悲しみを知る人ほど、愛が深くなることもできる。

だから、悲しみも、いつか宝物に変わる。

















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2015年02月18日
夢を現実にできること…
現実を夢にできること…

日々の暮らしを夢のように思えれば、誰もがいつの時も幸せな人生を歩んでいる。
そこには、競争や比較もいらない。

資本主義を越えた向こうに、その価値観の世界があります。
僕らは、資本主義の次の時代をつくりたいと思っています。

例えるなら、家族のような世界。
家族の中では、ご飯をつくったからとか、朝起こしてくれたからとか、慰めてくれたからとかで、料金は発生しないでしょ?
だって、善意と好意でしているのですから。
相手が喜んでくれること、それが報酬です。

僕らは、地球家族です。
もう一度、そこから始めてみましょう。










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2015年02月15日
化粧品は、肌に塗るもの。
肌と脳は、元は一つの細胞が分化して生まれたものです。
だから、つながっています。
肌に触れたものは脳に影響を与え、それはそのまま心への影響になります。
だからこそ、年齢に関係なく、すべての皆さまに原料や品質にこだわった化粧品をお使いいただきたいと思っています。

「肌に乗せるだけで、心も癒されるような化粧品」
これが、ジェンティの目指している「人の心と体にやさしい」をテーマにした化粧品です。
使うことで、人の心と体の健康にやさしい。
流した水が、地球の水と緑の環境にやさしい。
私たちのお届けする、すべての商品にその想いが込められています。











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2015年02月03日
戦争がなくなるには、どうすれば良いのだろうか?
子どもの頃からずっと、考えてきました。
社会を変えるにはどうするのか?
戦争の原因は何なのか?
一人一人の争いが消えれば良いのだろうか?

僕はこれまで、社会や人を変えることを考えてきました。
でも最近、一つの答えが見つかりました。
「水」や「空気」を変えることです。
先日、出張の帰りに琵琶湖の湖を見て思いました。
琵琶湖が変われば、それを水源としている町で暮らす人たちの心が変わるのだと。
さらに言えば、あなたの町の海が変われば、海は世界中つながっているのだから、世界の海も変わるのだと。
伊勢の海が変われば、アラビア湾も、アドリア海も、カリブの海も、地中海も、太平洋も大西洋も…
すべての海が変わり始める。
すると、その海に接する人たちの心も変わり始めます。

空も同じです。
私たちが今見上げている空が、より美しく平和の風に包まれるようになれば、その風は世界に流れていきます。
パリで見上げる空も、中東で見上げる空も、アメリカも日本もアジアの空も、すべてが変わるように思います。
すると、空を見上げるたびに、人の心は平和の色に染まっていくでしょう。

人を変えることは難しい。
なぜなら、私たちには感情がありますから。
感情があると、言葉や想いはゆがんで伝わってしまうことが有ります。
だって、私たちは人ですから。
でも、私たちを包む水や空という環境が少しずつ変われば、そこに触れながら心は次第に変わり始めます。
それは、無言のメッセージです。

いつか、世界は人知れず、こっそりと平和になっていくことでしょう。

やることは、ささいなことです。
私たちの今、目の前にある「水」や「空」に、平和の想いを込めるだけです。







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2015年01月21日
現代社会は、「情報社会」と呼ばれています。
経済においては、情報こそが重要であり、ある意味では「武器」であると考えられています。
情報を追い求める世の中…
現代人はそれを求めるがゆえに、「便利なのに忙しい」生き方をしています。

僕は、反対に情報を必要としない生き方をしています。
情報という字は、「情け」の「報せ」と書きます。
情けとは、揺れ動くものということです。
情報に振り回されていると、忙しいだけの一生になってしまいます。
そこでは、真実を手にすることはできません。
真実は、あなたの心の中にあります。
だから昔の人は、何も学んでいなくても、人の道を知っている人がたくさんいました。
自分自身をよく知っていましたし、自然の水や土や空気や太陽を、よく見つめていました。
そんな暮らしの中には、本当に必要な「気付き」があります。

もともと情報とは、19世紀以降に使われ始めた戦争用語の一つでした。
情報が理論的にまとまると、「知識」になります。
知識が気付きと合わさると、「智恵」になります。
智慧に天からの恩恵が与えられて、「叡智」になります。

情報を、情報だけで終わらせない社会でありたいものですね。
人類が「叡智」を求めるようになれば、今の世界の争いは気付いたらなくなっているはずです。












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2015年01月19日
昔々、誰かに聞いたお話です。
『本当に大切なもの』という、幸せとは何なのかを考えさせてくれたお話です。

神さまが、天使たちに「本当に大切なものを探しに行きなさい」と言いました。
天使たちは、地上に降りて様々な大切なものを探しに行きました。
宝石、富、地位、建築物、賞賛、祭り、その他の様々なものを天使たちは目の当たりにしていきました。

ある町に、「幸せに生きた人」がいました。
彼は、大成功を収め、死ぬ寸前まで人々の笑顔に囲まれていました。
その町の人々は、彼が死んだ後に、彼をたたえて彼の銅像をつくり、町の中央に祭りました。
その銅像は、住民たちが願いを込めて、色とりどりの宝石に包まれていました。
それは、彼を祭ることで、その成功と幸せをあやかるというものでした。
それは、「幸せの銅像」と呼ばれ、町の人々の誇りでした。

その銅像には、命と心が宿っていました。
町の中央にたたずむ彼は、一羽の渡り鳥と友だちになりました。
彼は渡り鳥とお話をします。
「君は、広い世界を渡ることができて幸せだねえ。」
「君は、たくさんの宝石を身に着けていて幸せそうだねえ。」

ある日、町一番の貧しい者が、その銅像の前で倒れていました。
それを見た銅像が言います。
「私の左腕の時計は、高価な宝石でできています。
これを持っていって売りなさい。」
銅像から宝石を受け取り、貧しい者は去りました。

ある日、病で親を失った子ども達が、その銅像の前で飢えてしゃがみこんでいました。
銅像は言います。
「私の右目は、サファイアでできています。
これを持っていってお金に変えて、食事をとりなさい。」
少年たちは大喜びで帰りました。

来る日も来る日も、銅像は自分の体の一部を人に分け与えました。
秋が過ぎ、冬を迎える頃、渡り鳥が言いました。
「僕はもうすぐ、次の町に行かなければいけない。
でも君と会えなくなるのは、寂しい。
また逢える日まで、さようなら。」
銅像が言いました。
「待ってくれないか。
君がいなくなれば、僕は悲しい。」
そうして、渡り鳥は町に残り、その冬を銅像と共に過ごしました。

春が来るころ、銅像には身に着けているものは何も無くなりました。
すべてを、必要としている者にあげたからです。
その頃、渡り鳥はひと冬の寒さが身に染みて、亡くなりました。
鳥は最期に言いました。
「僕は、最後まで君と一緒に過ごせて幸せだったよ。」
銅像は泣きました。
「君は、本当は次の町に行って方が良かったかもしれない。
僕は、自分のわがままで、大切な友達を失ってしまった。」

宝石をすべて失い、友を失い、泣いている銅像を見て町の人たちは言いました。
「こんなみすぼらしい銅像はない。
これは、不幸の銅像だ!」
そして、みんなで叩き壊してしまいました。
こうして、銅像は友達は死に、身に着けている宝石を失い、とうとう壊されてただの銅の塊になりました。

そこに、一人の天使が降りてきました。
天使は、銅像の亡骸である、銅の塊を神さまのもとに持って行きました。
それを手にした神さまは言いました。
「これは、本当に大切なものである。」
このお話は、これで終わりです。

このお話、すごく好きなんです。
すべてを失ったとしても、失敗を犯したとしても。
それが思い遣りから来るものだったとしたら、それは大切なものです。

世間での成功や幸せの基準からすれば、この銅像は地位や名誉や財も友だちも失った、愚かな男です。
でも、本当に大切なものという基準で見れば、とても尊いものですね。
彼は、誰からも賞賛されなくても、人知れずに誰かを救っていたのです。

僕はね、資本主義の次の社会は、こういう社会が来ると思っているんです。
本当に大切なものを、尊いと思える社会。
でもそのお話をすれば長くなるので、また。














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2015年01月02日
2015年の僕のテーマの一つが、「楽しい」ということです。
これまでは、あまり楽しむことを意識することはありませんでした。
楽をするかのような、申し訳ない気持ちがどこかにあったのでしょう。
地球の裏側に、困っている人がいるのに、自分が楽しんでいることに引け目を感じていました。

最近、「楽しい」という言葉のとらえ方が変わってきました。
「たのしい」という言葉は、「てのばし」から来ています。
手を伸ばして喜んでいる様を、表しています。
漢字の「楽」を見ても、人が手を伸ばして微笑んでいる様子を表しています。
手を伸ばすということは、とらえようによっては、隣人と手をつなぐという意味でもあります。
本当の楽しいとは、伸ばした手を、つなぐことができるということです。
世界中の人が、今を楽しむことができれば、世界は今よりもっと平和になります。












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2015年01月01日
毎年、年明けから元日にかけて行う、恒例行事があります。
1つ目は、海でのカウントダウンです。
自然の暗い闇の中で過ごすことで、凛とした透明感と共に、新鮮な気持ちで新年を迎えられます。
今年はなおのこと、強い風と荒れ狂うような波、火山口を覗いているかのような力強さを感じました。
どんな映像にもかなわない、自然界の感動を胸に新年を迎えることができました。
2つ目は、自分の想いを見つめてまとめることです。
一年の抱負、これからしたいことや、するべき大切なこととは何か?
元日にまとめることがその通りには、全くならないのですが、見つめるという行為が重要だと思って続けています。

2015年は、これまで以上に、日々の些細なことを大切にしていこうと思います。
季節の移り変わり。
毎日の食事。
歩いている道や緑や空。

私たちは、自然の一部です。
自然の美しさを体感して、自然に恩返しをするような生き方を、これからもしていけましたら幸いです。





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