私たちは「地球のお医者さん」です。
ジェンティは、「その人がその人らしく」を応援しています。 ジェンティに関わることで、誰もが自分らしく、 美と健康と生き方を通しての「幸せ」はもちろん、 「仕事」を通しての「成功と幸せ」も、いっぱい味わっていただきたいと想います。 そのために、今は思いっきり準備をしております^^ 共鳴していただける方は共に、 人と地球に優しい、本当の意味での「幸せと成功」を共に歩みましょう。
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2016年05月10日
時は今 所足元 そのことに 打ち込む命 永遠のみいのち

この一文が、善光寺宿坊、渕の坊の老祖様の法話のもう一つです。

私たちが生きているのは、「今」です。
それなのに、明日への心配や、過去の苦労に心を煩わしてはいけませんよ。
今、健康なのに、占いで来年に病気になると言われ、心配のあまりに本当に病気になる人がいます。
もったいないですよね。
今ここの足元を、目の前のやるべきことを、それに命を打ち込んでみましょう。
それが、「永遠の命」になるのです。
永遠の命とは、何か。
肉体は死んでも、魂が滅びることはありません。

永遠に続く魂を、輝かせるということが、永遠の命です。

だから、今を、ここで、目の前のやるべきことを、心を込めて生きていきましょう。


そんな感じ。


2016年05月10日
毎年の恒例行事として、4月の下旬に「善光寺」へ行ってまいりました。
今回は、85名での大法要もあり、ご参加の皆様もとてもお喜びくださいました。

その中で、これも毎回恒例のことですが、宿坊の仙台のご住職様である老祖様の法話がございます。
そのお話に、多くの御参加者の胸が熱くなったそうです。
3つのお話がありましたので、今回はその1つ目をお話しさせていただきます。

「一会一期」
よく、「一期一会」という言葉を使うことがありますね。
一生に一度の出逢いと思い、出逢いを大切にする。
そのような考え方をいいます。
お茶の世界では、その考えをもとに、一杯の茶に誠心誠意を込めるといいます。

老祖様の師匠にあたる方が亡くなられる際に、一つの言葉をお遺しになられたそうです。
それが、「一会一期」でした。
弟子たちは、さすがのお師匠様も字を間違えたのかと、思った方がいたそうです。
しかし、老祖様は、そうは思いませんでした。
お師匠様だからこそ、きっと何か深い意味があるはずだ。

そして、じっと考えているうちに、お師匠様の熱い思いが伝わってきて涙がこぼれたそうです。
一期一会とは、「一生に一度の出逢いと思い、この出逢いを大切にしよう。」です。
出逢いに思いを馳せる、そんな教えの言葉ですね。

一会一期は、人生に思いを馳せる言葉です。
「この一つの出逢いがあったからこそ、この人生を大切にしよう。」
この人との出逢いがあったからこそ、人生が大切に思える。
この出来事があったからこそ、人生が大切に思える。
誰にでも、そのような出逢いがあるかと思います。

そして、如来様、仏様との出逢いがあるからこそ、人生を大切に思える。

あなたと出逢いがあったからこそ、人生を大切に思っている誰かが、必ずいます。















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2016年04月20日
ホリスティックとは、「統合」という意味です。
科学とは本来、細分化することを意味しています。
物理なら物理、哲学なら哲学、数学なら数学、化学なら化学などです。

万物を細分化することで詳細を見抜くメリットがある一方で、本質的な問題が見えなくなる時があります。
なぜなら、すべてのものが寄り添って存在しているからです。

物事が起きる原因を、哲学や物理だけで見抜くことはできません。
地震の発生や、異常気象が起きる理由さえ、科学では紐解けません。
病気はなぜ起こり、難病はどうすれば改善するのかも、人間は何もわかっていません。
人間の愛や恋を、理論や数学だけで論じることはできません。

ホリスティック宇宙科学とは、すべてを統合的に見渡すことで、あらゆる問題の根本解決をするための理論です。

今、「ホリスティック医療」が注目されているように、あらゆる学問も統合的に論じられる日が来るでしょう。
そうすると、政治や経済ももっと、人間や自然に優しいものになるはずです。
数字だけを追わなくなり、心や美学とか、本来大切なものへと、シフトチェンジしていくことでしょう。

輝く地球の平和を願って。




















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2016年02月04日
お仕事をするときには、お仕事を一所懸命します。

学ぶときには、学ぶことを一所懸命します。

ランニングのときには、ランニングを一所懸命します。

お散歩するときには、お散歩を一所懸命します。

笑うときには、笑うことを一所懸命します。

泣くときは、泣くことを一所懸命します。

落ち込むときは、落ち込むことを一所懸命します。

病気のときには、病気を一所懸命します。

自分を疑うときには、自分を疑うことを一所懸命します。

苦しいときは、苦しい感情をきちんと受け止めます。

悲しいとき、つらいとき、それらも与えられた素晴らしい感情ですから。

それを通してまた、成長していきたいなって、想っています。

それが、僕の流儀です。













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2016年01月13日
世界という言葉があります。
「世」は、時間を意味しています。
20世紀や21世紀、ルイ14世やルパン三世、世は時間軸を表しています。
「界」は、空間を意味しています。
何々業界、ここ界隈など、界は空間の広がりを表しています。
時間と空間で、時空のすべてという意味です。

それが、世界です。

余談ですが、「救世」」とは、世を救うということです。
世が時間であるということは、その人の過去も現在も未来も救うということです。
なぜ、今それが起きているのか。
なぜ、過去にそうであったのか。
なぜ、この先の未来は幸せに向かうのか。
すべての答えを持って救われることが、救世です。

現在だけを救うことは簡単です。
今必要なお金や物質や言葉を、与えるだけで良いのです。
過去だけを救うことは簡単です。
新しい未来を、提示するだけで良いのです。
未来だけを救うことは簡単です。
これまでの自分自身を、否定して変えてあげれば良いのです。

ただそれは、本当の救いではありません。
過去も現在も未来も、すべてが救われることが、「救世」です。

それが、
・・・・・・・・難しいですね。












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2016年01月12日
風邪をひける人は、癌になりにくい。
風邪をひける人は、生活習慣病になりにくい。
ただし、薬を飲まない人に限る。

それが、風邪の効用です。
風邪をひけば、熱が出ます。
鼻水が出ます。
咳が出ます。
熱は体内の毒素を燃やし、鼻水は洗い流し、咳は払おうとします。
それが、体内のクリーニングです。
薬を飲めば、症状は治まりますが、体内の毒素もまた内へ溜まっていきます。
風邪をひいたときは、とことんひくに限ります。
毒素をすべて出し切るというイメージですね。
すると、「前より良くなる。」という状態になります。

人生も同じですね。
何か困ったことがあった時には、これもまた良くなるためと思い、受け入れてみましょう。
薬を飲んで、一時的に症状を抑えてしまっては、「前より良くなる。」ことは出来ません。
「出来る。」とは、「出て来る。」ということです。
内側に溜まっているものが、「出来る。」ことです。

人生に起こるものはすべて、内側のものを出そうとしてくれているのです。












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2016年01月11日
聖人の日

「聖」とは。
目に見えない「光」です。
王とは、天から降り注がれる、目映いばかりの光を意味します。
王様とは、本来はそのような尊い光を放っているものでした。
耳と口は、目には見えないということを意味しています。

聖は、目に見えない光。
それを放っている人が、聖人です。
それを放っている書が、聖書です。
それを放っている地が、聖地です。
それを放っているエネルギーが、聖氣です。

聖氣は、私たちの身近にある様々なものに宿っています。
それを取り入れることで、元氣になります。
人間は本来、聖なる生き物です。
それを忘れてしまった時、人は病気になります。
聖なる心、聖なる想い、聖なる食、聖なる言葉、聖なるふるまい…。
ただそこの元に戻ること。
それが、「元氣」です。











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2016年01月06日
水車のように生きていたいなって、想ったりします。
水車は、輪の先が水の浸かり流れに身を任せ、輪の上は空を仰いでいます。
もしもすべてが浸かっていれば、ただ沈んでいるだけです。
もしもすべてが浮いて出ていれば、空回りすらできません。
どぢらにしろ、半分出ていてちょうど良いんです。

人生もそうですよね。
遊びに浸かっていけないし、学びだけに使ってもいけません。
色々なものに浸かり、流れに身を任せるから回転するようなものです。

これから何かをしようとする時は、流れに乗って廻ってみよう、と想ってみると良いですね。
















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2016年01月02日
皆さんは、2016年の抱負について、何か想いを寄せてみましたか。
僕は毎年、年越しの瞬間を海で過ごすようにしています。
学生の頃から数えれば、12回目くらいになります。
今年も、大野海岸の浜辺で、様々なことを考えていました。
その時に、これから始まる一年について、想いを寄せていくのです。

今年の抱負は、「足元を想う」です。
足元には、大地があります。
足元には、地球そのものがあります。
空もあり、海もあり、大気も水も、緑や命も、いっぱいのものが足元にあります。
そして、今つながっている大切な方々とのご縁があります。
どこか遠くへ目を向けなくても、手に余るほどの素晴らしきものが、今ここにある。

2015年は「飛躍を胸に」ということで、数多くの新しい高次元アイテムの開発やヒーリング法が生まれました。
今年は、今あるモノを大切に、育んでいきたいと思います。

ジェンティに今ある、地球医学アイテム、地球医学の理念、それを育んでいくことです。
そして、たまには自分を休めながら。
そして今よりも、アウトプットができるように思っています。

2016年も、あなたと皆さまがお幸せでありますことを、お祈りしています。











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2016年01月01日
明けましておめでとうございます。
旧年中は、大変お世話になりました。
2016年も、どうぞ宜しくお願いいたします。

今年は、これまで以上に挨拶を大切にしていきたいと思っています。
挨拶の「挨」は、相手にまっさらな気持ちで向かうことのようです。
「拶」は、相手の人間性を引き出すことのようです。
自分が心を開くことで、相手も心を開いてくれます。
それが、挨拶です。
挨拶こそ、信心の極意ですね。

先入観を持たず、しがらみや煩わしさを払しょくし、澄んだ気持ちで相手と面すること。
挨拶一つで、自分も相手も気持ちよく、一日を過ごすことができます。

一年も同じですね。
明けましておめでとうございます!

まっさらな気持ちで向き合えば、気持ち良く一年がスタートします。







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2015年12月31日
2015年は、いかがお過ごしでしたでしょうか?
世界では、政治や経済の両面において、大きな局面を迎えた年でしたね。
自分事でいえば、今後の方向性を見つめ直した一年でした。
特に、年末には様々なことを考える時間に恵まれました。
「命」についてです。

命とは、「役割」です。
人間だけでなく、存在するあらゆるものが、命を持っています。
それは、役割があるということです。
役割を与えることを、命令といいます。
天から与えられた役割を、天命といいます。
その時々の場面で使わされる役割が、使命です。

生きているということは、それだけですべての生命に役割があるのです。
生命だけでなく、モノにも役割があるということは、命があるということです。

では、自分の命とは何だろう・・
役割は、何だろう・・
振り返ると、2008年の1月の店長日記を思い出しました。
その時、20年以内に必ず、日本からアトピーが無くなるようにする。
と、書いたように思います。
それは、言い換えれば、人間が作り出した病気を無くすということです。
さらに言えば、人類による自然破壊を無くすということです。

どうしたらできるのだろうか。
当時は、まったく分からなかったのですが、最近では少しずつ道が見えてきました。
その根底は、「地球医学アイテム」を広めることに他なりません。
さらに、プラスアルファがあります。
すべては、毎日の暮らしの中でできることです。
誰もが、やろうと思えばすぐにでも始められること。
そして、それをすることで、しているご本人が喜べること。
一人一人の振る舞いが、世界を変えていけるのだということ。
それを、現実レベルで実現していけましたらと願うばかりです。

2016年も、あなたと大切な人にとりまして、最善の歳でありますことをお祈りしています。


2015年12月24日
世界のどこかでは、クリスマスを知らない人がいます。
彼らは、明日の食べる物も手にすることができない。

世界のどこかでは、サンタさんを知らない人がいます。
彼らは、プレゼントの意味も知らずに寒さにふるえる夜を過ごす。

世界のどこかでは、ケーキも七面鳥も知らない人がいます。
彼らは、安らぐためのベッドもないままに不安に明日を迎える。

15年前、サラリーマンの頃に、クルド人の絵描きさんが書いたイラストの絵葉書をいただいた。
その絵には、病気の母親をサンタさんに治してもらおうとして、雪の中をサンタさんを探しに行ったままに遭難し、凍えて亡くなった2人の子どもが描かれていました。
私たちには温かい暖房器具、お腹いっぱいになるまでの食事、幸せに麻痺するほどの幸せの連呼。
世界は、理不尽に溢れていることを感じました。

だから、仕事をがんばるしかないなって、思いました。
仕事を通して、底辺から世界の平和や幸せに貢献できるなら、それが子ども達へのプレゼントになるんじゃないのか?
そう思いながら、がんばろうと思いました。

それから15年、今も変わらずにがんばれているのかな?
自分に問いかけてみると…。

「大丈夫だよ」
って、応えていただいたりしたりみたいな。

そんな感じで、メリークリスマス!

今夜も、あなたが、皆さまが、お幸せでありますことをお祈りしています。







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2015年12月21日
泣いて。
泣いているあなたも美しいから。

笑って。
笑っているあなたも美しいから。

怒って。
怒っているあなたも美しいから。

悔やんで。
悔やんでいるあなたも美しいから。

悲しんで。
悲しんでいるあなたも美しいから。

楽しんで。
楽しんでいるあなたも美しいから。

歌って。
歌っているあなたも美しいから。

















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2015年12月16日
2009年、善光寺にツアーで行かせていただいた際に、参加者一人ずつに「法名」というのをいただいたことがありました。
漢字で二文字、その方に合う名前をいただくというもので、僕は「積徳」という名をいただきました。
「徳を積みなさいね。」と言っていただいたような気がして、それをどこかで意識するようになりました。

「徳」とは、行人偏は「行く」という意味であり、右は「生まれた人の心のまま」という意味であります。

人が生まれたのは天の意志が働いており、そのままの自然の法則にのっとって生きるということです。
それを、昔は八徳という言葉で表しました。

「孝、悌、忠、信、礼、義、廉、恥」
の八つの徳です。

孝…親孝行を意味しますが、先祖をはじめ、地域や国、地球そのものへの恩返しの心です。
悌…孝に対し、横のつながりである兄弟や仲間を大切にするということです。
忠…心の中に、自分以外の大切なものを抱くことです。
信…言葉に責任を持つということです。
礼…本来は禮であり、実るほどに頭が下がる生き方です。
義…我を下に置いて、何かや誰かのために行動することです。
廉…ふるまいの美しさのことです。
恥…心に耳を向けるという、自分に嘘のない生き方のことです。

これらが、徳を積み、心を磨くということのようです。

難しいことですが、心にとどめておきたいなと思います。

「かたつむり
 のぼらばのぼれ
 富士の山」

生涯をかけても、やりがいのあるテーマですね。





















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2015年12月09日
同情と共感は、似ているようで違います。
同情の根本は、受け手には「かわいそうな私。」があります。
一方、送り手には「かわいそうね。」があります。
それが居心地いいので、いつまでたってもお互いが変わることはできません。
送り手は、少し上から目線でいられることが居心地が良く、受け手はその送り手を、心の底では軽蔑しています。

共感は違います。
これから変わっていきたいとの意志が根底にあります。
なので、前向きなエネルギーがそこには存在しています。
受け手には、「生きてゆく私。」があります。
送り手には、「生きてゆくんだね。」があります。
それに続いて、「素晴らしいね。」となります。
すると、それが励ましのパワーとなり、お互いのエネルギーが増幅していきます。

お互いがお互いを尊重する心の中には、執着はありません。
同情の場合、どちらかが幸せになるのを拒みます。
共感の場合、どちらかが幸せになることを心の底から応援できます。

あなたは、どちらの生き方をしたいですか?












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2015年12月03日
イノシシの幼少期を、ウリ坊と言います。
しま模様の姿は、自然の中で天敵から守るための保護色になるそうです。
ゆっくり育ったウリ坊ほど、賢くなると聞いたことがあります。
ゆっくり育つほど、成熟した時に多くの知恵を覚えられるそうです。
それは、私たち人間も同じ。

言い換えれば、人間ほどゆっくり成長していく動物は他にいませんよね。
馬は生まれた瞬間から立とうとしますが、人間は1年かかり、大人になるまで20年近くかかります。
だからこそ、豊かに育ちます。

僕は子どもの頃、たった一つの言葉を覚えるのに、とても長い時間がかかりました。
例えば、「友だち」。
その言葉の本当の意味を考えるために、何日も何日も考えたりします。
例えば、「勇気」。
例えば、「愛」。
「自由」、「平和」、「希望」とか、たった一つの言葉を覚えるのにも、長い時間がかかりました。

だから良かったなと、今、強く感じています。
それがあったからこそ、一つの言葉に、愛着を持つことができます。

辞書やインターネットですぐに覚えることができる社会です。
使い捨てのように、情報があふれ、言葉が通過していきます。
果たして、そこで何を得られるのだろう?

たった一冊の本を、何日も何年も読みふけり、何かを学んでいた時代。
何気ない風景に、いくつもの美しいものを見出している人の心。

ゆっくりだからこそ、根っこが大きく育つような成長を、素的だと思います。












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2015年12月01日
健康にとって、とても大切なことがあります。
それは、「体が温かいということ」です。

体が温かいと、血液の流れが良くなります。
なぜかといえば、冷えていると、万物は固くなります。
固いところに、血液を流していけば、どこかで詰まる恐れがあります。
ですから、心臓としては、それらの予防のために血流を抑えるのです。
つまり、必要があってのことですね。

さらに、冷えていると、毛細血管が細くなりますから、少しの血流でも血管がパンパンになって、頭に血が上りやすくなります。

冷えるということは、体にも、頭(思考⇒感情)にも、悪影響を与えるということです。
では、部屋を暖かくしたり、温かいものを飲むことが、その対策になるのでしょうか?
それも大切です。

しかし、現代人の冷えをつくっているものは、もっと他にあります。

「電磁波」…電子レンジで温めたものはすぐに冷えて固くなるように、電化製品から出ている電磁波は体を冷やし、細胞を固くします。
「化学繊維」…原料は、石油です。肌を乾燥させて、血液の流れの滞りを生みます。
「ストレス」…頭に血が上り、腹が冷えます。その悪循環が、内臓の働きを低下させます。
「甘いモノ」…甘いものは体を冷やします。
などなど。

温めるということは、命を大切にするということです。
体にも、心にも、ぬくもりを与えるということです。

ほんの少しの見直しが、命を大きく発展させるのです。
あなたの命を、大切に想っている人がいますからね。
健康を気にすることは、そんな皆さまへの「優しさ」でもあるんです。
そして、優しさは、優れていることであり、イメージの力でもあります。



















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2015年11月29日
愛如(あいにょ)。
という言葉があります。

これは、「愛そのもの」という意味です。
愛そのものであった時、病も争いも無くなります。
愛そのものでない時に、病や戦争は起こります。
そして、人を含めた大自然の法則は本来、愛そのものであります。

その本来の姿に戻すことができる言葉が、「愛如」です。

使い方は、簡単です。
声に出さない、黙祷をするだけです。
心の中で、何度も唱えるだけでいいのです。
目の前に対象があれば、それを見つめて心の中で声に出さずに唱えます。
「愛如、愛如、愛如、愛如、愛如、愛如、愛如………」
と、です。
人でも、モノでも、愛そのものに変わり始めます。
離れている方に対しては、目を閉じて、指を折り曲げて手を合わせてその対象を想いながら、唱えます。
何万キロ離れていても、相手が愛そのものに変わり始めます。

簡単ですけど、本当なんです。
実際にされた方からのお声では、
「お薬を飲んでいましたが、とても調子が良くなりました!」(愛知県50代女性)
「電車の中で咳をしている人がいたので愛如をしたら治まったみたいです!」(東京都40代女性)
「腰痛がひどくて悩んでいた父が、朝起きたら痛みが引いていたようです。」(滋賀県40代男性)
「全身の痛みが電話越しで愛如を黙祷していただいてすっかり良くなりました。」(東京都60代男性)
「通学路で交通指導をしているのですが愛如をし始めたら子ども達が挨拶をするようになりました!」(兵庫県30代女性)
などなどです。

僕が今、しているのは、ロシア人を想いながら愛如。
イスラムの人を想いながら愛如。
ヨーロッパの人を想いながら愛如。
もちろん、日本人を想いながら、愛如。
アメリカ人を想いながら、愛如。
アジアやオーストラリアやアフリカや、南極や北極や、想いながら、愛如。

少しずつの積み重ねですが、これが少しの、世界そのものを愛そのものにできる、行為です。
焼け石に、一滴の水では意味がないかもしれません。
焼け石に、滝の水を当てれば、すぐに冷えますよね。

戦争の抑止力は、誰もの胸の内にあります。
こっそりと、誰もが世界をすくっているんです。





















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2015年11月24日
すべての人の心を満たすだけのモノは、世界に溢れています。
現に、食糧やエネルギー、大自然の恵みは、平等に分かち合えば、200億人でも300億人でも、地球上で共存することは可能です。
当然、大自然は豊かに繁栄を永続します。

しかし、すべての人の欲を満たすモノはもう、世界に足りていません。
日本人は毎日、数千万人分の食べ物を廃棄していて、人が人を殺し合いながらさらに、大自然を破壊するのを当たり前のように感じています。

例えば、肉食を止めるだけでも、その20倍もの穀物を生産することができます。
今ある財に満足することができれば、資本主義も社会主義もすでに、必要ありません。
財とは、「貝」は価値あるモノを意味し、「才」は生み出すことを意味します。
資本主義の中では、資本こそが価値を生み出すと考えられています。
でも、本当の財とは、「愛」です。
命がそうであるように、愛はすべてを生み出します。
愛が、価値のあるモノを生み出すことができます。
愛は財である。
他者からの愛を知っている子どもに話をしてみると、このことを知っています。
いつからか競争を教わり、人は、間違えます。
それもまた、学びですね。

誰もが誰もの幸せを願う。
それが、「グレイス主義」です。

人類はもうすでに、世界を平和にできるだけの器を持っています。
もしもそれをしていないのならば、誰かがそうさせないように働いていて、踊らされているのです。

笛吹いても踊らず。
そろそろ、自分の意志のみで世界を観る時期になっていますね。
欲は、笛の音に踊っているだけなんです。









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2015年11月18日
「衣食足りて、礼節を知る。」という言葉は、必ずしもそうとは限りません。
現代に生きる私たちは、数百年前よりも、誰もがその数倍もの衣食に満ち溢れています。
それでも、礼節は疎かになるばかりです。
本当の礼節は、すべてを失ったとしても、人を愛せる心の中に在ります。
正しく素直に生きる、正直者のことを言います。

ソドムとゴモラの村人たちは、衣食に溢れる暮らしをしながら不平を言い、貧しい人に施すこともなく、それ以上の欲に走りました。
風紀は乱れ、誰もが欲望に溢れ、高慢な生き方をしていました。

見かねた神ヤハウェは、村を滅ぼそうとします。
預言者アブラハムは、「正直者が50人いるかもしれないのに、滅ぼすことはあり得ません。」
とヤハウェに問いました。
「では、正直者が50人いれば、滅ぼしはしない。」と、ヤハウェは答えます。
「ちりあくたのような私ですが…」と前置きをしながら、アブラハムはヤハウェに交渉します。
「正直者は40人かもしれません、30人かもしれません、20人かもしれません…」と。
最後にヤハウェは、「10人の正直者がいる限り、滅ぼさないでいよう。」と言いました。

ヤハウェは天使を送り、村の様子を探らせました。
ロトとその家族をのぞいて正直者はおらず、誰もが高慢で欲深い生活をしている現状でした。
結局、ロトとその家族は天使の導きで助かり、村には火炎が降り注ぎ滅びました。
ロトはその後、子孫を生み、それが今のヨーロッパの民族の原型の一つであると考えられています。
その遺跡と思われるものが、ヨーロッパの死海南部に見つかっています。
紀元前3000年頃の小惑星の爆発による隕石の落下が、ソドムとゴモラの村の話であると、科学的には言われています。

このお話は、2つのことを表しています。
1つは、正直者がわずかでもいる限り、世界は滅びないということです。
今こうして、世界が保たれているのは、日常を大切に生きる正直者があらゆる町で普通に暮らしているからです。
2つ目は、たとえ滅んだとしても、正直者が1人でもいる限り、世界はまた甦るということです。

今日も世界が安泰であるのは、あなたが正直者でいてくださるからです。
だから、ありがとうございます。









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