私たちは「地球のお医者さん」です。
ジェンティは、「その人がその人らしく」を応援しています。 ジェンティに関わることで、誰もが自分らしく、 美と健康と生き方を通しての「幸せ」はもちろん、 「仕事」を通しての「成功と幸せ」も、いっぱい味わっていただきたいと想います。 そのために、今は思いっきり準備をしております^^ 共鳴していただける方は共に、 人と地球に優しい、本当の意味での「幸せと成功」を共に歩みましょう。
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2015年12月31日
2015年は、いかがお過ごしでしたでしょうか?
世界では、政治や経済の両面において、大きな局面を迎えた年でしたね。
自分事でいえば、今後の方向性を見つめ直した一年でした。
特に、年末には様々なことを考える時間に恵まれました。
「命」についてです。

命とは、「役割」です。
人間だけでなく、存在するあらゆるものが、命を持っています。
それは、役割があるということです。
役割を与えることを、命令といいます。
天から与えられた役割を、天命といいます。
その時々の場面で使わされる役割が、使命です。

生きているということは、それだけですべての生命に役割があるのです。
生命だけでなく、モノにも役割があるということは、命があるということです。

では、自分の命とは何だろう・・
役割は、何だろう・・
振り返ると、2008年の1月の店長日記を思い出しました。
その時、20年以内に必ず、日本からアトピーが無くなるようにする。
と、書いたように思います。
それは、言い換えれば、人間が作り出した病気を無くすということです。
さらに言えば、人類による自然破壊を無くすということです。

どうしたらできるのだろうか。
当時は、まったく分からなかったのですが、最近では少しずつ道が見えてきました。
その根底は、「地球医学アイテム」を広めることに他なりません。
さらに、プラスアルファがあります。
すべては、毎日の暮らしの中でできることです。
誰もが、やろうと思えばすぐにでも始められること。
そして、それをすることで、しているご本人が喜べること。
一人一人の振る舞いが、世界を変えていけるのだということ。
それを、現実レベルで実現していけましたらと願うばかりです。

2016年も、あなたと大切な人にとりまして、最善の歳でありますことをお祈りしています。


2015年12月24日
世界のどこかでは、クリスマスを知らない人がいます。
彼らは、明日の食べる物も手にすることができない。

世界のどこかでは、サンタさんを知らない人がいます。
彼らは、プレゼントの意味も知らずに寒さにふるえる夜を過ごす。

世界のどこかでは、ケーキも七面鳥も知らない人がいます。
彼らは、安らぐためのベッドもないままに不安に明日を迎える。

15年前、サラリーマンの頃に、クルド人の絵描きさんが書いたイラストの絵葉書をいただいた。
その絵には、病気の母親をサンタさんに治してもらおうとして、雪の中をサンタさんを探しに行ったままに遭難し、凍えて亡くなった2人の子どもが描かれていました。
私たちには温かい暖房器具、お腹いっぱいになるまでの食事、幸せに麻痺するほどの幸せの連呼。
世界は、理不尽に溢れていることを感じました。

だから、仕事をがんばるしかないなって、思いました。
仕事を通して、底辺から世界の平和や幸せに貢献できるなら、それが子ども達へのプレゼントになるんじゃないのか?
そう思いながら、がんばろうと思いました。

それから15年、今も変わらずにがんばれているのかな?
自分に問いかけてみると…。

「大丈夫だよ」
って、応えていただいたりしたりみたいな。

そんな感じで、メリークリスマス!

今夜も、あなたが、皆さまが、お幸せでありますことをお祈りしています。







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2015年12月21日
泣いて。
泣いているあなたも美しいから。

笑って。
笑っているあなたも美しいから。

怒って。
怒っているあなたも美しいから。

悔やんで。
悔やんでいるあなたも美しいから。

悲しんで。
悲しんでいるあなたも美しいから。

楽しんで。
楽しんでいるあなたも美しいから。

歌って。
歌っているあなたも美しいから。

















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2015年12月16日
2009年、善光寺にツアーで行かせていただいた際に、参加者一人ずつに「法名」というのをいただいたことがありました。
漢字で二文字、その方に合う名前をいただくというもので、僕は「積徳」という名をいただきました。
「徳を積みなさいね。」と言っていただいたような気がして、それをどこかで意識するようになりました。

「徳」とは、行人偏は「行く」という意味であり、右は「生まれた人の心のまま」という意味であります。

人が生まれたのは天の意志が働いており、そのままの自然の法則にのっとって生きるということです。
それを、昔は八徳という言葉で表しました。

「孝、悌、忠、信、礼、義、廉、恥」
の八つの徳です。

孝…親孝行を意味しますが、先祖をはじめ、地域や国、地球そのものへの恩返しの心です。
悌…孝に対し、横のつながりである兄弟や仲間を大切にするということです。
忠…心の中に、自分以外の大切なものを抱くことです。
信…言葉に責任を持つということです。
礼…本来は禮であり、実るほどに頭が下がる生き方です。
義…我を下に置いて、何かや誰かのために行動することです。
廉…ふるまいの美しさのことです。
恥…心に耳を向けるという、自分に嘘のない生き方のことです。

これらが、徳を積み、心を磨くということのようです。

難しいことですが、心にとどめておきたいなと思います。

「かたつむり
 のぼらばのぼれ
 富士の山」

生涯をかけても、やりがいのあるテーマですね。





















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2015年12月09日
同情と共感は、似ているようで違います。
同情の根本は、受け手には「かわいそうな私。」があります。
一方、送り手には「かわいそうね。」があります。
それが居心地いいので、いつまでたってもお互いが変わることはできません。
送り手は、少し上から目線でいられることが居心地が良く、受け手はその送り手を、心の底では軽蔑しています。

共感は違います。
これから変わっていきたいとの意志が根底にあります。
なので、前向きなエネルギーがそこには存在しています。
受け手には、「生きてゆく私。」があります。
送り手には、「生きてゆくんだね。」があります。
それに続いて、「素晴らしいね。」となります。
すると、それが励ましのパワーとなり、お互いのエネルギーが増幅していきます。

お互いがお互いを尊重する心の中には、執着はありません。
同情の場合、どちらかが幸せになるのを拒みます。
共感の場合、どちらかが幸せになることを心の底から応援できます。

あなたは、どちらの生き方をしたいですか?












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2015年12月03日
イノシシの幼少期を、ウリ坊と言います。
しま模様の姿は、自然の中で天敵から守るための保護色になるそうです。
ゆっくり育ったウリ坊ほど、賢くなると聞いたことがあります。
ゆっくり育つほど、成熟した時に多くの知恵を覚えられるそうです。
それは、私たち人間も同じ。

言い換えれば、人間ほどゆっくり成長していく動物は他にいませんよね。
馬は生まれた瞬間から立とうとしますが、人間は1年かかり、大人になるまで20年近くかかります。
だからこそ、豊かに育ちます。

僕は子どもの頃、たった一つの言葉を覚えるのに、とても長い時間がかかりました。
例えば、「友だち」。
その言葉の本当の意味を考えるために、何日も何日も考えたりします。
例えば、「勇気」。
例えば、「愛」。
「自由」、「平和」、「希望」とか、たった一つの言葉を覚えるのにも、長い時間がかかりました。

だから良かったなと、今、強く感じています。
それがあったからこそ、一つの言葉に、愛着を持つことができます。

辞書やインターネットですぐに覚えることができる社会です。
使い捨てのように、情報があふれ、言葉が通過していきます。
果たして、そこで何を得られるのだろう?

たった一冊の本を、何日も何年も読みふけり、何かを学んでいた時代。
何気ない風景に、いくつもの美しいものを見出している人の心。

ゆっくりだからこそ、根っこが大きく育つような成長を、素的だと思います。












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2015年12月01日
健康にとって、とても大切なことがあります。
それは、「体が温かいということ」です。

体が温かいと、血液の流れが良くなります。
なぜかといえば、冷えていると、万物は固くなります。
固いところに、血液を流していけば、どこかで詰まる恐れがあります。
ですから、心臓としては、それらの予防のために血流を抑えるのです。
つまり、必要があってのことですね。

さらに、冷えていると、毛細血管が細くなりますから、少しの血流でも血管がパンパンになって、頭に血が上りやすくなります。

冷えるということは、体にも、頭(思考⇒感情)にも、悪影響を与えるということです。
では、部屋を暖かくしたり、温かいものを飲むことが、その対策になるのでしょうか?
それも大切です。

しかし、現代人の冷えをつくっているものは、もっと他にあります。

「電磁波」…電子レンジで温めたものはすぐに冷えて固くなるように、電化製品から出ている電磁波は体を冷やし、細胞を固くします。
「化学繊維」…原料は、石油です。肌を乾燥させて、血液の流れの滞りを生みます。
「ストレス」…頭に血が上り、腹が冷えます。その悪循環が、内臓の働きを低下させます。
「甘いモノ」…甘いものは体を冷やします。
などなど。

温めるということは、命を大切にするということです。
体にも、心にも、ぬくもりを与えるということです。

ほんの少しの見直しが、命を大きく発展させるのです。
あなたの命を、大切に想っている人がいますからね。
健康を気にすることは、そんな皆さまへの「優しさ」でもあるんです。
そして、優しさは、優れていることであり、イメージの力でもあります。



















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2015年11月29日
愛如(あいにょ)。
という言葉があります。

これは、「愛そのもの」という意味です。
愛そのものであった時、病も争いも無くなります。
愛そのものでない時に、病や戦争は起こります。
そして、人を含めた大自然の法則は本来、愛そのものであります。

その本来の姿に戻すことができる言葉が、「愛如」です。

使い方は、簡単です。
声に出さない、黙祷をするだけです。
心の中で、何度も唱えるだけでいいのです。
目の前に対象があれば、それを見つめて心の中で声に出さずに唱えます。
「愛如、愛如、愛如、愛如、愛如、愛如、愛如………」
と、です。
人でも、モノでも、愛そのものに変わり始めます。
離れている方に対しては、目を閉じて、指を折り曲げて手を合わせてその対象を想いながら、唱えます。
何万キロ離れていても、相手が愛そのものに変わり始めます。

簡単ですけど、本当なんです。
実際にされた方からのお声では、
「お薬を飲んでいましたが、とても調子が良くなりました!」(愛知県50代女性)
「電車の中で咳をしている人がいたので愛如をしたら治まったみたいです!」(東京都40代女性)
「腰痛がひどくて悩んでいた父が、朝起きたら痛みが引いていたようです。」(滋賀県40代男性)
「全身の痛みが電話越しで愛如を黙祷していただいてすっかり良くなりました。」(東京都60代男性)
「通学路で交通指導をしているのですが愛如をし始めたら子ども達が挨拶をするようになりました!」(兵庫県30代女性)
などなどです。

僕が今、しているのは、ロシア人を想いながら愛如。
イスラムの人を想いながら愛如。
ヨーロッパの人を想いながら愛如。
もちろん、日本人を想いながら、愛如。
アメリカ人を想いながら、愛如。
アジアやオーストラリアやアフリカや、南極や北極や、想いながら、愛如。

少しずつの積み重ねですが、これが少しの、世界そのものを愛そのものにできる、行為です。
焼け石に、一滴の水では意味がないかもしれません。
焼け石に、滝の水を当てれば、すぐに冷えますよね。

戦争の抑止力は、誰もの胸の内にあります。
こっそりと、誰もが世界をすくっているんです。





















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2015年11月24日
すべての人の心を満たすだけのモノは、世界に溢れています。
現に、食糧やエネルギー、大自然の恵みは、平等に分かち合えば、200億人でも300億人でも、地球上で共存することは可能です。
当然、大自然は豊かに繁栄を永続します。

しかし、すべての人の欲を満たすモノはもう、世界に足りていません。
日本人は毎日、数千万人分の食べ物を廃棄していて、人が人を殺し合いながらさらに、大自然を破壊するのを当たり前のように感じています。

例えば、肉食を止めるだけでも、その20倍もの穀物を生産することができます。
今ある財に満足することができれば、資本主義も社会主義もすでに、必要ありません。
財とは、「貝」は価値あるモノを意味し、「才」は生み出すことを意味します。
資本主義の中では、資本こそが価値を生み出すと考えられています。
でも、本当の財とは、「愛」です。
命がそうであるように、愛はすべてを生み出します。
愛が、価値のあるモノを生み出すことができます。
愛は財である。
他者からの愛を知っている子どもに話をしてみると、このことを知っています。
いつからか競争を教わり、人は、間違えます。
それもまた、学びですね。

誰もが誰もの幸せを願う。
それが、「グレイス主義」です。

人類はもうすでに、世界を平和にできるだけの器を持っています。
もしもそれをしていないのならば、誰かがそうさせないように働いていて、踊らされているのです。

笛吹いても踊らず。
そろそろ、自分の意志のみで世界を観る時期になっていますね。
欲は、笛の音に踊っているだけなんです。









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2015年11月18日
「衣食足りて、礼節を知る。」という言葉は、必ずしもそうとは限りません。
現代に生きる私たちは、数百年前よりも、誰もがその数倍もの衣食に満ち溢れています。
それでも、礼節は疎かになるばかりです。
本当の礼節は、すべてを失ったとしても、人を愛せる心の中に在ります。
正しく素直に生きる、正直者のことを言います。

ソドムとゴモラの村人たちは、衣食に溢れる暮らしをしながら不平を言い、貧しい人に施すこともなく、それ以上の欲に走りました。
風紀は乱れ、誰もが欲望に溢れ、高慢な生き方をしていました。

見かねた神ヤハウェは、村を滅ぼそうとします。
預言者アブラハムは、「正直者が50人いるかもしれないのに、滅ぼすことはあり得ません。」
とヤハウェに問いました。
「では、正直者が50人いれば、滅ぼしはしない。」と、ヤハウェは答えます。
「ちりあくたのような私ですが…」と前置きをしながら、アブラハムはヤハウェに交渉します。
「正直者は40人かもしれません、30人かもしれません、20人かもしれません…」と。
最後にヤハウェは、「10人の正直者がいる限り、滅ぼさないでいよう。」と言いました。

ヤハウェは天使を送り、村の様子を探らせました。
ロトとその家族をのぞいて正直者はおらず、誰もが高慢で欲深い生活をしている現状でした。
結局、ロトとその家族は天使の導きで助かり、村には火炎が降り注ぎ滅びました。
ロトはその後、子孫を生み、それが今のヨーロッパの民族の原型の一つであると考えられています。
その遺跡と思われるものが、ヨーロッパの死海南部に見つかっています。
紀元前3000年頃の小惑星の爆発による隕石の落下が、ソドムとゴモラの村の話であると、科学的には言われています。

このお話は、2つのことを表しています。
1つは、正直者がわずかでもいる限り、世界は滅びないということです。
今こうして、世界が保たれているのは、日常を大切に生きる正直者があらゆる町で普通に暮らしているからです。
2つ目は、たとえ滅んだとしても、正直者が1人でもいる限り、世界はまた甦るということです。

今日も世界が安泰であるのは、あなたが正直者でいてくださるからです。
だから、ありがとうございます。









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2015年11月16日
「冷えは万病の元。」
と、言います。
体が冷えていると、細胞は固くなり、血液も汚れていきます。
当然、それによって様々な病気へと進んでいきます。
人間と同じように、土にも冷え症があります。
冬に電車に乗って田畑の景色を観ていると、雪が積もっている田んぼと、積もっていない田んぼがあります。
積もっているのは、土が冷えているからです。
昔の人は、雪が積もるような土地に家を建てると病人が生まれる、と考えていました。
冷え症の土地の上で暮らせば、冷え症の人を生み出すからです。

温かい土地には、酵素が多く含まれています。
発酵しているものは、温かくなります。
畑の脇に牛糞が積まれているのを見ると、いつも湯気が出ていたりします。
発酵が進んでいると、100℃くらいまでいくようですね。
酵素は、生命の活動そのものとも言えます。
温かい土とは、健康な土地であると、言うことができます。

人間も同じです。
お腹の中に、酵素が豊富な方には、体が芯から温まっています。
冷え症の方は、腸内に酵素が不足しているということです。

酵素を多く含むものは、生の食品や発酵食品などです。
特に、「旬の食べ物」です。
旬とは、上旬、中旬、下旬という言葉がありますように、10日間ほどの短い期間で採れたものです。
簡単に言えば、自然の恵みを、加工せずにそのまま食べることが、一番の温かい身体をつくるということです。
暖かい心も同じです。
自然の景色や出来事を、加工せずにそのまま受け入れるということです。
















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2015年11月13日
グレイス主義。
それは、資本主義に変わる、新しい社会の価値観です。
これまで、資本主義の対局は、社会主義や共産主義などが、言われていました。
しかしどちらも、全く同じものです。
財の所有をどうするかというだけの問題であり、どちらも財こそすべての概念です。

結局は、資本主義も共産主義も、限界にきています。
古代ローマや大英帝国の繁栄にも終わりが来たように、すべてのものに終わりがあります。
西洋医学にも、限界が来ています。
生きている命に対して、石油から製造した薬を投与し続けても根本を豊かにはできません。

命の根本を変えるには、心を変えることが大切です。
心って、どこにありますか?
脳にあると思えば、思考に走ります。
胸にあると思えば、感情に走ります。
下腹にあると思えば、打算に走ります。
心のありかは、そう思う人によって場所が変わるのです。
そして、それらはどれも、正しいのです。

この世界のすべてが、私の心であると想えるのなら、そうなります。
自分を愛し、相手を愛し、空を愛し、雲を愛し、水を愛し、気を愛し、大地を愛し、草や花を愛し、空気を愛し、目には見えないけれどもあるだろうものを愛し…。
そう想えるのなら、あなたの心は世界のすべてです。

本当は、すべての人がもう、恵みに溢れた世界に生きているということです。
今の地球は、平等に分配さえできれば、200億人でも300億人でも、生きているだけの食も医も、電気も、自然環境は整っています。

僕の師匠の、浮船先生はいつも言います。
「目の前の人の笑顔、これ以上の喜びは無いですよ。」

そんなことにすべての人が気付く日。
それが、グレイス主義の始まりです。














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2015年11月12日
「武士道とは、死ぬことに見つけたり。」という、言葉があります。
武士道という、日本の古来より伝わる精神性を表したものです。
その究極が、「一日一死」です。

お道の教えでは、「一日一生」という言葉があります。
一日の中に、一生分の有難い感動や感謝を味わおうというものです。
その心境になると、すべてのものに、優しさや慈悲や有難味を感じることができます。

一日一死と一日一生は、コインの裏表のようなものです。
一日の中に、死を感じるという生き方です。
日本には明治維新の頃まで、生き様という言葉はありませんでした。
「死に様」という言葉だけがあり、死というものの中に、大きな意味を見出していました。
現代になって、逆説的に、生き様という言葉が使われるようになりました。
生きることと同じように、死ぬことも大切なことなのです。
生と死、言い換えれば、ネガとポジです。
ネガが濃いほどに、ポジが鮮やかになります。
影が濃いほどに光が明るくなるように、死を感じることは、生を輝かせることです。
一日一生と一日一死は、コインの裏表のようなものです。

一日一生が、すべてのものへの優しさを得るとすれば、
一日一死は、すべてのものから優しさを得ているのだと感じる心境です。

一日一生が、有難いと感じる心境であれば、
一日一死は、有難いと思っていただいていることに申し訳ないと感じる心境です。

一日一生が、日々を大切にしたいと感じる心境であれば、
一日一死は、大切と想っていただいていることに申し訳ないと想える心境です。

一日一生が、菩薩の想いで人を観ている心境ならば、
一日一死は、目に映るすべてのものが菩薩に観えている心境です。
















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2015年11月09日
資本主義の原点は、今からもう、6000年程前にさかのぼります。
物々交換を越えて、共通の価値観のあるものを媒介にした流通の始まりが、資本主義の始まりとも言えます。
共通の価値観のものは、地域や国家によって違いが少しありました。
例えば、「塩」です。
古代ギリシアでは、塩が御給金の代わりに配られましたので、「サラリー(給料)マン」の語源は「ソルト(塩)」なのです。
その他、きれいな模様の貝殻も価値がありましたので、流通媒介(貨幣)の代わりに使われました。
だから今でも、「買」や「購」など、お金に関する漢字には「貝」が使われていたりします。
日本では米が、時には鰹節が流通媒介になることもありました。
多くの人にとって共通の価値のあるもの、それが貨幣の始まりです。

その中で、絶対量が限られていて、価値も劣化することが無く、人々の心を引きつけて止まないものがありました。
それが、「金(ゴールド)」です。
金は、劣化することもなく、加工次第でどんな芸術品をつくることも可能です。
古代から、エジプトでも、ヨーロッパでも、中国でも、日本でも、南米でも、世界中の人がそれを欲しがりました。
現在の貨幣も、元々は、金との交換チケットが始まりです。
言い換えれば、金の保有量が、紙幣の根源価値とも言えます。

でもね、どれだけ金を持っていても、幸せとそれとは、まったく別のものです。
そして、死んでいくときには、何一つ持っていくことはできません。
私たちの、本当の幸せや、死ぬときに想う、生きていた時の価値観は、心の中にあります。
心の中は、目には見えません。
目には見えない、「愛」とか「優しさ」「生き甲斐」や「誇り」、それらこそが本当の財産かも知れませんね。
「後悔」や「反省」ですら、良くなろうとする向上心の表れだとすれば、とても大切な宝石のような財産です。

それらを、本当の財として、富として、全人類の共通認識における時代-。
それが、「グレイス主義」です。

通帳に書かれている預金残高も、必要なものです。
土地の権利証にも、意味があります。
経歴や学歴、地位や名誉も、あって無駄なものはありません。
ただ、優先順位が、少しだけ変わっていくことでしょう。
昔は、金がいくらあっても、米が無ければ生きれないので米のほうが価値がありました。
昔の人に、ダイヤモンドが米よりも価値があるなんて話しても、聞く耳を持ちません。
それと同様に、時代が変われば、人間にとっての共通認識は変わり、価値観が変わります。
生きる指針が変わり、人生で目指すものが変わってきます。

地球はもう、全人類を賄えるだけの豊かさを誇っています。
奪い合う必要はもう、どこにもありませんよ。
そろそろ、新しい時代に入っても、良い頃ではないでしょうか?


















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2015年11月06日
小学校六年生の時、男の子は、旅に出ないと大人になれないと思いました。
肉体や年齢は重ねて大きくなっても、それは大人ではないのだと。
旅に出る英雄体験が、大きい人の心を育てるのだと。
そして旅に出るには、二つの条件があるのだと思いました。
一つは、自分と向き合うこと。
もう一つは、景色に寄り添うこと。
そうすれば、すべての瞬間に意味が生まれるのだと。
どんな風景の中にいても、心が震えることができるのだと。
それは、少年のまま大人になろうとした僕なりの、人生を旅に見立てた哲学でした。

その頃から今でも、僕が大好きな「旅の歌」をご紹介させていただきますね。
これは、未来から来た青い猫が、ポッケから色んな道具を出して、暮らしを豊かにするというお話です。
いつも黄色いシャツを着ている少年と一緒に、机の引き出しの中のマシンに乗って西へ向かうという映画の主題歌です。

『のび太のパラレル西遊記』(「東映」1989年)
僕のひとみが遠い町の、夕焼け観たいというのです。
僕の唇が知らない人と、話がしたいというのです。
僕の足が流れる雲を、追いかけたいというのです。
だから旅に出た。
だから旅に出た。
明日という名の、町を目指して。
Go to the west.
君がいるなら、寂しくない。

私の靴が地図にない道、歩いてみたいというのです。
私の指がきれいな花を、摘んでみたいというのです。
私の心が遥かな国の、唄聴きたいというのです。
だから旅に出た。
だから旅に出た。
明日という名の、町を目指して。
Go to the west.
君がいるなら、寂しくない。


グッドラック☆
ぎゅっとラック☆










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2015年11月05日
色即是空。
空即是色。
色は即、空である。
空は即、色である。
形あるものも、実態は無いのである。
実体のないものも、そこに在るのである。

きっと、この本当の意味を、何千年も人は、ぼんやりとしかわかっていないような気がします。
僕の感覚からすれば、「心を空に置くということ。」です。
人の心は、どこにありますか?
胸で考える人は、感情に心が走ります。
頭で考える人は、思考に心が走ります。
下腹部で考える人は、打算に心が走ります。
様々な考えがあって、そのどれもが正しいことでしょう。
なぜなら、人の心は、人によって置いてある場所が違いますから。
言い換えれば、生き方や、在り方次第で、心はどこにでも置くことができます。

僕の場合は、心を空に置くことにしています。
津波が来ても、地震が来ても、空に心があれば気になりません。
台風が来ても、雷が落ちても、雲よりも高い空はいつも静かです。
空から見れば、すべてのことは迷路を上から見るように見渡せます。
すると、糸口や出口がよくわかります。

色を、形ある命あるものと想定しましょう。
命はすべて、水から始まります。
水は、空から降り注がれ、山から川へ、海へと流れていきます。
そして、空へとまた還ります。
この悠久の流れもまた、宇宙からすれば一瞬です。
一瞬とは、即です。
命は空から降り注がれ、流れ流れて、空へと還っていく。
色即是空。
空即是色。
これは、生命の普遍の流れとも言えます。

心を空に置くこと。
これが、迷路に迷った時の答えの導き方です。
迷路は上から見れば、糸口が見えます。
さらに上に昇れば、迷路を一跨ぎすることも可です。





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2015年10月28日
オセロのステキなところは、駒を増やすことを目的としないところです。
角っこを取ることで、残りわずかからでも逆転ができます。
今の世の中を、悪くなる一方と見る向きがあったとしても、オセロでいう角っこさえ抑えておけば、いつからでも世界は良くなります。
政治や経済、金融や宗教の力ではなく、自然にある本来の力がそうさせるはずです。

オセロの四隅を、世界に当てはめると、角っこの縦軸は「個人の在り方」です。
個人の「生」と「死」に意味があると思えば、すべての欲や価値観が変わってきます。
そして横軸は、「社会の在り方」です。
社会の在り方でいう角っこは、「エネルギー」と「医」です。
政治や経済、金融や宗教でさえも、エネルギーと医を中心としています。
それらは、エネルギーと医を分配するために元々生まれたものとも言えます。
エネルギーとは、「食」と「発電」です。
戦争は元々、食や発電を奪うために生まれました。
自然に沿った農法を実現すれば、200億人でも300億人でも、地球は抱えることができます。
発電も同様で、石油や原子力、太陽や風などの、動力源を必要としない発電が完成すれば、永遠に枯渇しない、その上で自然環境をクリーンにし続けるエネルギー環境が生まれます。

医も同様に、自然に元々あるもので、人が死ぬまで健康にいられるのならば、今の西洋医学至上主義は必要なくなります。
自然療法を95%、西洋医学を5%、このくらいの割合で事足りることでしょう。
今、日本だけで見ても、国民医療費は年間で40兆円を超えています。
これが経済を疲弊させるとともに、人間の命をより粗末にしているのが現実です。
すべて、一部の人たちの利権のためです。

縦軸と横軸、その角っこさえ引っくり返れば、世界はいつからでも変わります。
オセロを平面で見ていれば、誰だって駒しか目に見えません。
もしも盤上でしか生きていなければ、隣にある駒を見るだけで精いっぱいです。
オセロは、上から見ているから角っこが見えるのです。

オセロを上から見るためには。
愛とか優しさ、夢とか希望、そんな目には見えないことを大切にして生きていくことではないでしょうか。









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2015年10月20日
オセロの面白いところは、最後まで逆転がわからないところ。
途中経過での駒の多い少ないよりも、角っこを取ることの方が大切です。
それは、この世界も同じ仕組みです。
政治や経済、自然環境や国際情勢を見ていると、今の世の中は悪くなる一方のように感じます。
でもそれは、オセロでいう途中経過でしかありません。
必ずどこかで、角っこがひっくり返り、すべてが入れ替わる時が来ます。
その日が来た時が、本当の意味での世界が平和になる時です。
今の世界の価値観が、ガラリと変わるための、逆転現象です。

四隅には、縦軸と横軸があります。
縦軸は、人としての生き方です。
その根本は、「生死」です。
生まれることと、死ぬこと、その価値観です。
現代では、生まれることに差ほど意味は無く、生物学的にただ生まれてきただけであると考えられています。
だから、自分が好きなことをするだけで良いと考えます。
でも本当は、違います。
誰もが、人以外のすべての存在も含めて、意味があって生まれてきます。
命とは、「役割」です。
その人にできる、その人のすべてを賭けられるモノやコトが、それぞれにあります。
それに触れている時、人は「ああ、生まれてきて良かった」と想えるのです。
その瞬間は、どんな富や財産よりも、かけがえのない価値があります。
生まれてきたということは、誰もが役割があり、そこには本当の喜びがあります。

そして、死ぬことにも意味があります。
現代では、死んだらすべてが終わると、考えられています。
でも実際には、死んでも続くのが生命です。
漢字の「誕生」という字は、「偽の生」という意味があります。
昔の人は、この世界でどう生きるかが、死んでからの財産になると考えていました。
死ぬことは終わりではなく、そこからも永遠に続いている。
そう、考えるのなら、今だけの欲では満足できないはずです。
自分の命をもっと大切にしよう、そして、自分以外の命もすべて意味があって生きているのだから、もっと大切にしようと想えます。
「生」と「死」への考え方が見直されたら、自分や他人、自然環境への接し方も変わります。
そして、生も死も意味があるのだから、肉体が滅んでも意味があるのだから、もっと見えない存在に対しても感謝の気持ちを持とう。
そう想えます。

自分や他人、他に存在する命を、どれだけ大切にできるか、それが価値の中心になります。
そして、それと共に存在している見えない存在への感謝。
それが、僕が願っている「グレイス主義」です。
グレイスとは、目に見えないもののご利益や、人の優しさや自然の美しさなどをいいます。
よく考えてみたら、どう考えても、どれだけ考えてみても、それ以上のものは無いはずです。

いつか、たった1%の人が全世界の96%の富を所有するという、この世界の資本主義がいかに幻想であったかに、世界中が気付く日がきます。










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2015年10月19日
黄金の国、ジパング。
その昔、マルコポーロが中国に渡り、そこで聞いた話を西洋に伝えた中で、日本を称してそう呼んだといわれています。
12世紀頃、奥州藤原氏は多くの金を産出し、中尊寺金剛堂をはじめ、金の装飾の建物が多く存在していたといわれています。
「黄金の国ジパング」という名は、世界から興味を持たれました。

日本には、そこに輝く本当の黄金があります。
ある人は、言います。
「日本には、それだけ多くの金が埋蔵されていたのだ…。」
「黄金とは、黄金色に輝く稲穂を意味するのだ…。」

でも、本当の黄金は、「日本人の心」です。
争わない心、裁かない気持ち。
モノを持たなくても幸せだと想える感性。
太陽や水、大地や草や花、森や川やそこで暮らす生き物への敬意。
目に見えないものを崇めることができる霊性の高さ。
弱いもの、小さいものへの愛。

それが、日本に在る本当の黄金です。
それこそが、本当の財産です。
それは、日本人だけが特別なのではなく、すべての人があわせ持った共通の財産です。
その上で、日本という国は、大陸から程よく離れているという特別な環境がありました。
民族間の争いが無く、文化を侵されることもなく、「和」を重んじることができる、特別な生活空間です。

誰かと比べないから、自分を愛することができます。
どこかと争うことが無いから、穏やかに今を生きることができます。

世界中がそうなれば、地球は「黄金の星」です。













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2015年10月15日
仏の教えでは、「四苦八苦」という言葉があります。
生老病死からなる、この世での様々な苦しみのことです。
この苦を、言語であるパーリ語では「ドゥッカ」と呼び、「思い通りにならないこと」という意味を持っています。
日本語の「苦」について言えば、草冠は、大地から芽生えてくるものを表します。
古は、先祖の頭蓋骨を意味し、そこから転じて古く固い器を意味するようになりました。
そのような草を、苦菜と呼び、苦いから転じて苦しみを含む意味になったと言われています。
でも本当の意味はすべて、字体の中に隠されています。
「苦」という文字が持つ本当のメッセージは、大地から芽生えてくる古く固いもの。
普通、草や木をはじめ、大地から芽生えるものは新鮮で柔らかなものですね。
苦とは、「矛盾」ということです。

もっと、生きていたいのに、死はおとずれます。
いつまでも若くいたくても、老いは進んでいきます。
言い換えれば、早く死にたくても生き続けることも苦です。
子どもが早く大人になりたいと思っていても、ゆっくりと歳をとることも苦かも知れません。
苦は、私たちが望むことと矛盾する反対のことを受け入れなければいけないことを言います。
生老病死という苦を受け入れるのならば、生まれて生きてゆくこと、老いることも病することも、やがては死にゆくことも、すべてを愛するということです。

苦があるから、望みを叶えたいと想い、人は工夫をしたり学んだり、成長しようと心を磨こうとします。
さらには、苦を受け入れようとして器を広げようともします。
苦を経験することで、この世の様々な苦を見つめ、他人の苦を共感できるようになります。

「楽」が、楽しいということではありません。
「苦」が、苦しいということでもありません。
楽の中にも苦しみはあり、苦の中にも楽しさがあります。

だから、どんな人生も素晴らしいのです。















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