大学生の頃感じた、食と命のことについて。
こんにちは。
いつもお世話になりまして、誠にありがとうございます。
小澤頼仁です。
「生老病死」という人間の「苦」に、僕が強く向き合うようになったのは、大学生の頃であったと思います。
当時、四畳半、風呂無し、冷暖房無し、電話無し、よくそれで四年間過ごしていたと思いますね。
そして食事は、決まって玄米ご飯と味噌、醤油、おから。
外食は一切無し。
たまの贅沢は、カボチャを煮て食べること。
グルメの本を眺めながら、それをおかずにしてご飯を食べたりもしていましたね。
だってね、玄米のすごい所はお米をとぐ際に、普通の白米をキッチンの排水溝に流すと数日で腐りますが、玄米を流すと数日でそこから芽を出して成長し始めるんです。
それを見た時に、「命の尊さ」を何か感じました。
食事とは、「命」をいただく行為なんだなと思いました。
「美味しい」とか、「体に良い」とか関係なく、食事とは命を受け継ぐ神聖な行為なんだと思いました。
そんな想いもあって、自炊を心がけるようになり、極力食材をそのまま食べるような生活を四年間していました。
そうこうしていると、食材そのものの想いを感じることができるようになって、ほんの少しの手を加えるだけで食材の美味しさをいくらでも引き出せるようになって、今の僕の趣味特技が「料理」というのも、その頃から来ているかと思います。
当時僕が一番好きだった料理は、玄米を炊く際に醤油を少し入れるだけの「炊き込みご飯」でした。
お米の旨味、醤油の塩の旨味と大豆の旨味、それはミネラルやアミノ酸、ブドウ糖やビタミンや酵素、あらゆる旨味の混在するとても贅沢な食べ物でした。
最もシンプルな料理ですが、食べることで食材と会話をしているような最も優雅な時間をいただいていました。
料理をいただくということは、その命をいただくということだと感じ、その想いは今でも変わっていません。
余談ですが、僕は食べ物を食べて「まずい」と思ったことは、生まれてから一度もありません。
「美味しくない」「苦手」だと思ったことは、何度かはあります。
でも「まずい」という言葉は、食材への無礼であると、不思議と二歳くらいから思っていました。
周りの人がまずいという言葉を使うのを聞くと、「何で?どういう意味?」と幼少の頃から思っていました。
食は、生きてゆくことの原点です。
言い換えれば、私たちは日々食べるものの命の上で生かせていただいているのです。
だから、生きるということも、食べるということも、責任がありますよね。
「どう生きるか?」は、「どれだけ多くの命に貢献できるのか?」に尽きると感じました。
19歳の頃、貧しさをいただいたことが、僕の一番の贅沢であったと思っています。
さて、生老病死の話に戻ります。
人はなぜ生きて、どこに行くのだろう?
そんなことばかりを当時は考えていました。
でも、心と頭で色々考えても、自分の肉体は生きることを望んでいる。
心や頭は生きることに失望しても、肉体が生きようと願っている。
そんな状態の時に、
「心や頭の想いという、個人の傲慢さを捨てよう。
細胞の一つ一つが生きたがっている。
その声に従って生きてゆこう。」
と、決断しました。
個人の夢、心の願い、それらは19歳の時に捨てました。
「苦」を思う行為は個人のもので、大自然も細胞一つも、ただ在ることに意味があるのです。
今はただ、細胞が欲していることに耳を傾けるのみです。
もっと言えば、細胞が望んでいる「果てない夢」かな。
人間には、60兆の細胞があります。
その一つの細胞には、平均して約2,000個のミトコンドリアという意志を持った存在があります。
この肉体そのものが、宇宙のような広がりを持った存在です。
僕個人の想いで、僕個人の人生を決めることはできません。
細胞が望んでいることに耳を傾ける。
するとやっぱり、「世界や地球が、生きとし生けるすべてが喜べるようであること。」に尽きるんです。
なぜなら、細胞レベルになると、どんな小動物、さらには微生物やバクテリアに至るまで、すべてと兄弟姉妹であるのと同じ感覚になれるからです。
細胞って、学校教育よりも素敵なことを教えてくれています。
生も老も病も死も、私たち個人が悩むことではないんだなって、いつからか思うようになりました。
でも僕は、そこに苦があるのなら、何とか解決していきたい。
そう思っています。
だから今でも、僕の役割は「世界が平和であること。」と「あらゆる命に貢献できること。」です。
もっと具体的に言っていけば………。
あまりにも長くなるので、改めてお話をさせていただきますね。
今回は、これくらいにさせていただきます。
僕の伝えたいことは一言では言い尽くせませんので、良かったらじっくり聞いてやってくださいませ。
Ps.
当時の僕に伝えたいことがあります。
「ありがとう。
最も弱い生き方をしてくれて。」
.
いつもお世話になりまして、誠にありがとうございます。
小澤頼仁です。
「生老病死」という人間の「苦」に、僕が強く向き合うようになったのは、大学生の頃であったと思います。
当時、四畳半、風呂無し、冷暖房無し、電話無し、よくそれで四年間過ごしていたと思いますね。
そして食事は、決まって玄米ご飯と味噌、醤油、おから。
外食は一切無し。
たまの贅沢は、カボチャを煮て食べること。
グルメの本を眺めながら、それをおかずにしてご飯を食べたりもしていましたね。
だってね、玄米のすごい所はお米をとぐ際に、普通の白米をキッチンの排水溝に流すと数日で腐りますが、玄米を流すと数日でそこから芽を出して成長し始めるんです。
それを見た時に、「命の尊さ」を何か感じました。
食事とは、「命」をいただく行為なんだなと思いました。
「美味しい」とか、「体に良い」とか関係なく、食事とは命を受け継ぐ神聖な行為なんだと思いました。
そんな想いもあって、自炊を心がけるようになり、極力食材をそのまま食べるような生活を四年間していました。
そうこうしていると、食材そのものの想いを感じることができるようになって、ほんの少しの手を加えるだけで食材の美味しさをいくらでも引き出せるようになって、今の僕の趣味特技が「料理」というのも、その頃から来ているかと思います。
当時僕が一番好きだった料理は、玄米を炊く際に醤油を少し入れるだけの「炊き込みご飯」でした。
お米の旨味、醤油の塩の旨味と大豆の旨味、それはミネラルやアミノ酸、ブドウ糖やビタミンや酵素、あらゆる旨味の混在するとても贅沢な食べ物でした。
最もシンプルな料理ですが、食べることで食材と会話をしているような最も優雅な時間をいただいていました。
料理をいただくということは、その命をいただくということだと感じ、その想いは今でも変わっていません。
余談ですが、僕は食べ物を食べて「まずい」と思ったことは、生まれてから一度もありません。
「美味しくない」「苦手」だと思ったことは、何度かはあります。
でも「まずい」という言葉は、食材への無礼であると、不思議と二歳くらいから思っていました。
周りの人がまずいという言葉を使うのを聞くと、「何で?どういう意味?」と幼少の頃から思っていました。
食は、生きてゆくことの原点です。
言い換えれば、私たちは日々食べるものの命の上で生かせていただいているのです。
だから、生きるということも、食べるということも、責任がありますよね。
「どう生きるか?」は、「どれだけ多くの命に貢献できるのか?」に尽きると感じました。
19歳の頃、貧しさをいただいたことが、僕の一番の贅沢であったと思っています。
さて、生老病死の話に戻ります。
人はなぜ生きて、どこに行くのだろう?
そんなことばかりを当時は考えていました。
でも、心と頭で色々考えても、自分の肉体は生きることを望んでいる。
心や頭は生きることに失望しても、肉体が生きようと願っている。
そんな状態の時に、
「心や頭の想いという、個人の傲慢さを捨てよう。
細胞の一つ一つが生きたがっている。
その声に従って生きてゆこう。」
と、決断しました。
個人の夢、心の願い、それらは19歳の時に捨てました。
「苦」を思う行為は個人のもので、大自然も細胞一つも、ただ在ることに意味があるのです。
今はただ、細胞が欲していることに耳を傾けるのみです。
もっと言えば、細胞が望んでいる「果てない夢」かな。
人間には、60兆の細胞があります。
その一つの細胞には、平均して約2,000個のミトコンドリアという意志を持った存在があります。
この肉体そのものが、宇宙のような広がりを持った存在です。
僕個人の想いで、僕個人の人生を決めることはできません。
細胞が望んでいることに耳を傾ける。
するとやっぱり、「世界や地球が、生きとし生けるすべてが喜べるようであること。」に尽きるんです。
なぜなら、細胞レベルになると、どんな小動物、さらには微生物やバクテリアに至るまで、すべてと兄弟姉妹であるのと同じ感覚になれるからです。
細胞って、学校教育よりも素敵なことを教えてくれています。
生も老も病も死も、私たち個人が悩むことではないんだなって、いつからか思うようになりました。
でも僕は、そこに苦があるのなら、何とか解決していきたい。
そう思っています。
だから今でも、僕の役割は「世界が平和であること。」と「あらゆる命に貢献できること。」です。
もっと具体的に言っていけば………。
あまりにも長くなるので、改めてお話をさせていただきますね。
今回は、これくらいにさせていただきます。
僕の伝えたいことは一言では言い尽くせませんので、良かったらじっくり聞いてやってくださいませ。
Ps.
当時の僕に伝えたいことがあります。
「ありがとう。
最も弱い生き方をしてくれて。」
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