無自覚を自覚に変える
「無自覚を自覚に変える」ということは、自分の罪を自覚するということです。
なぜなら、私たちは気付かないうちに多くの罪を積んでいることがあるからです。
良かれと思ってしたことで、誰かを傷つけていること…。
私が傷つけてしまった誰かが、その先の人を傷つけたとしてもそれは私の罪です…。
知らないうちに、殺生をしていることに気付いていない…。
日々の暮らしの中、便利さの裏で環境破壊を促進している…。
無自覚の罪のことを、「業(ごう=カルマ)」ともいいます。
それを消していくには、罪を意識することで、反省をし、もう二度と繰り返さないようにすることです。
それが、「三省」です。
三省とは、孔子の教えです。
「吾日に吾が身を三省す。
人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝えしかと。」
愛を持って、人と接したか。
誠実を持って、人と接したか。
自分本位の言葉で、相手を惑わしてはいないか。
このようなことを、日々省みましょう、ということです。
すると、無自覚に犯していた些細な罪に気付きます。
「あの発言は、あのとき誰かを傷つけてしまっていたな。」
「私が配慮しなかったことで、悲しい思いをした人がいたな。」
「悪気は無かったんだけど、結果的に大勢の被害者を出してしまった。」
などなど、気付くことです。
そうして持ちます、償いの意識を。
それが、世界に広まれば、争いや環境破壊や飢えや人類が生み出している諸々の諸悪を解消することにもなるのです。
反省は、猿でも出来ます。
でも、少々奥が深いですよ、三省は。
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なぜなら、私たちは気付かないうちに多くの罪を積んでいることがあるからです。
良かれと思ってしたことで、誰かを傷つけていること…。
私が傷つけてしまった誰かが、その先の人を傷つけたとしてもそれは私の罪です…。
知らないうちに、殺生をしていることに気付いていない…。
日々の暮らしの中、便利さの裏で環境破壊を促進している…。
無自覚の罪のことを、「業(ごう=カルマ)」ともいいます。
それを消していくには、罪を意識することで、反省をし、もう二度と繰り返さないようにすることです。
それが、「三省」です。
三省とは、孔子の教えです。
「吾日に吾が身を三省す。
人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝えしかと。」
愛を持って、人と接したか。
誠実を持って、人と接したか。
自分本位の言葉で、相手を惑わしてはいないか。
このようなことを、日々省みましょう、ということです。
すると、無自覚に犯していた些細な罪に気付きます。
「あの発言は、あのとき誰かを傷つけてしまっていたな。」
「私が配慮しなかったことで、悲しい思いをした人がいたな。」
「悪気は無かったんだけど、結果的に大勢の被害者を出してしまった。」
などなど、気付くことです。
そうして持ちます、償いの意識を。
それが、世界に広まれば、争いや環境破壊や飢えや人類が生み出している諸々の諸悪を解消することにもなるのです。
反省は、猿でも出来ます。
でも、少々奥が深いですよ、三省は。
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