『李白』正義の味方のつくり方⑨~いつか、4歳の晴斗くんに話したいこと~
『李白は酒一斗、詩百篇』
李白という男は、一斗の酒を飲んでいる間に詩を百篇つくる。
そう言い放ったのは、唐代の詩人、杜甫です。
杜甫と李白は、約1300年前の中国の同時代を生きた天才詩人です。
2人は、作風も人柄も全く異なるが、共に酒を酌み交わし、交流をし、詩を語り合った友でもありました。
後に離れることになりますが、杜甫は生涯の内に何度も李白を想って詩を詠んでいます。
李白は、酒と月と友をこよなく愛した詩人でした。
中国の月は、日本とは少し違い、むき出しの山の間を貫くように天高くそびえています。
月と、地に映る自分の影と、自らとの3人で酒を飲んで戯れる詩もあります。
その奔放な生き方は、1300年が経った今でも色あせることなく、人々の心を惹きつけています。
それは、繊細さと崇高さと無邪気さが、相まみえた奇跡でもあります。
静夜思(せいやし)
牀前看月光(しょうぜん げっこうをみる)
疑是地上霜(うたごうらくは これちじょうのしもかと)
挙頭望山月(こうべをあげて さんげつをのぞみ)
低頭思故郷(こうべをたれて こきょうをおもう)
寝台の前、月光を見る。
まるでそれは地上におりた霜かと思われた。
頭をあげて遠くの山にかかる月をみていると、自然に故郷のことが思い出され頭をうなだれるのだった。
これは、五言絶句の最高傑作とも言われる作品です。
この作品は、李白が31歳の頃の作品と言われます。
1300年前の男が、21世紀の現在に目の前で生きているかのようです。
僕は、19歳の頃に青春18きっぷと、ヒッチハイクを駆使して全国を回っていました。
ボーリングシャツと、Gパンをハサミで切った半ズボンのスタイルで、ポケットには漢詩の詩集だけを持って旅に出ました。
何も持っていなく、いつも孤独と隣り合わせでしたけど、
1300年の付き合いの友がそばに寄り添っているかのような、不思議な安心感がありました。
「旅は道連れ」と言いますが、詩人はいつの時代も、旅人の隣にいるようです。
李白は、正義の味方です。
1000年経っても変わらない、人の情を永遠の形に残しました。
それは、孤独を抱え込んだ詩を読むことで、人の心から孤独を拭い去ります。
きっと、今も多くの旅人や、多くの日常の冒険者の心を癒していることです。
PS
いつか大人になる君へ。
僕もいつか、君に詩を残そう。
言葉ではない形かも知れない。
李白という男は、一斗の酒を飲んでいる間に詩を百篇つくる。
そう言い放ったのは、唐代の詩人、杜甫です。
杜甫と李白は、約1300年前の中国の同時代を生きた天才詩人です。
2人は、作風も人柄も全く異なるが、共に酒を酌み交わし、交流をし、詩を語り合った友でもありました。
後に離れることになりますが、杜甫は生涯の内に何度も李白を想って詩を詠んでいます。
李白は、酒と月と友をこよなく愛した詩人でした。
中国の月は、日本とは少し違い、むき出しの山の間を貫くように天高くそびえています。
月と、地に映る自分の影と、自らとの3人で酒を飲んで戯れる詩もあります。
その奔放な生き方は、1300年が経った今でも色あせることなく、人々の心を惹きつけています。
それは、繊細さと崇高さと無邪気さが、相まみえた奇跡でもあります。
静夜思(せいやし)
牀前看月光(しょうぜん げっこうをみる)
疑是地上霜(うたごうらくは これちじょうのしもかと)
挙頭望山月(こうべをあげて さんげつをのぞみ)
低頭思故郷(こうべをたれて こきょうをおもう)
寝台の前、月光を見る。
まるでそれは地上におりた霜かと思われた。
頭をあげて遠くの山にかかる月をみていると、自然に故郷のことが思い出され頭をうなだれるのだった。
これは、五言絶句の最高傑作とも言われる作品です。
この作品は、李白が31歳の頃の作品と言われます。
1300年前の男が、21世紀の現在に目の前で生きているかのようです。
僕は、19歳の頃に青春18きっぷと、ヒッチハイクを駆使して全国を回っていました。
ボーリングシャツと、Gパンをハサミで切った半ズボンのスタイルで、ポケットには漢詩の詩集だけを持って旅に出ました。
何も持っていなく、いつも孤独と隣り合わせでしたけど、
1300年の付き合いの友がそばに寄り添っているかのような、不思議な安心感がありました。
「旅は道連れ」と言いますが、詩人はいつの時代も、旅人の隣にいるようです。
李白は、正義の味方です。
1000年経っても変わらない、人の情を永遠の形に残しました。
それは、孤独を抱え込んだ詩を読むことで、人の心から孤独を拭い去ります。
きっと、今も多くの旅人や、多くの日常の冒険者の心を癒していることです。
PS
いつか大人になる君へ。
僕もいつか、君に詩を残そう。
言葉ではない形かも知れない。