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『豊臣秀吉』 正義の味方のつくり方②~いつか、4歳の晴斗くんに話したいこと~

『豊臣秀吉』 正義の味方のつくり方②~いつか、4歳の晴斗くんに話したいこと~
こんばんは。
今日もきっと、誰かのためにがんばったのでしょうね。
おつかれさまでした。
季節外れの台風、どうか日本列島を無事に過ぎ去りますように。

日記はいつも、朝のランニングをしながら言葉を浮かべています。


今日の主人公は「豊臣秀吉」です。
彼もまた、僕が4歳の少年にいつか話したい正義の味方の一人です。

秀吉には、賛否両論があります。
晩年の朝鮮出兵や側近への惨殺行為、贅沢三昧の暮らしなどの陰の部分。
しかし彼は、日本で他にはいない、百姓出身の天下人です。
それは日本人が、どんな身分でも努力次第で報われるという、庶民の心の柱にもなりました。

秀吉の立身出世に夢を見て、夢を追い続ける姿が、明治以降の日本人の励みでした。
日本には、2度の奇跡があったと言います。
1度目は、明治維新以降の日本の台頭です。
2度目は、戦後の復興です。
その復興を支えた松下幸之助が、「今太閤」と呼ばれたのは、庶民の憧れがあったからこそです。
※太閤とは、秀吉の尊称です

秀吉は、努力をすれば報われるという、日本人の美徳を証明した人でもあります。
しかも秀吉は、最期まで母親を大政所として最高位におき、親孝行に徹しました。
「親兄弟のために、良い暮らしをさせたい」という想が、彼の努力を支えたのかもしれません。


「墨俣の一夜城」
これは、難攻不落と言われた岐阜県墨俣に攻め込む際、秀吉が知恵を絞ることで、一晩の内に城を建てた話です。
今でいう、プレハブのような組み立て式を彼はしました。

「三日普請」
通常なら50~60日はかかるという城の石垣の修理を、彼は何と三日で終えました。
職人たちの得意分野に応じた分業制、結果へのボーナス制度、徹底した計画を立てたこと。
今でいう、トヨタ式生産のような効率化を彼はしました。

そう考えると、彼の発想は300年くらい先をいっていたことになります。
人は人を想うとき、逆境を迎えた時、夢に向かうとき、次元を超えた発想が生まれます。
堺屋太一氏は、著書の中で秀吉を「夢を越えた男」と表現しています。


正義には、2つの種類があります。
普遍的な正義と、特殊的な正義です。
普遍的な正義は、時代や文化に変わらない正義です。
特殊的な正義は、その時の状況や場面によって解釈が変わります。
秀吉は、何万人もの人を殺しました。
その一方で、信長と秀吉、家康という三英傑の存在が無ければ、戦国時代はあと100年は続いていたとも言われています。
そして、勤勉に生きて夢を追い求めたこと、孝行を通したこと、多くの人に夢を与えたこと、創意工夫を重ねることで奇跡を起こしたこと…


これから先、何100年、何1000年と、彼の偉業は人々の心をとらえて離さないことでしょう。
僕らは今、彼から学ぶことが多いのではないでしょうか?

それは、日本人が「第3度目の奇跡」を起こすためにも。


PS
いつか大人になる君へ
夢を越える姿に、夢を見よう。




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