慈悲
慈悲とは、慈しみと、悲しみです。
それは、人を救う力です。
慈悲を向けられた時、人は心が救われる思いがしますね。
慈は、人の喜びを自分の喜びのように感じるということです。
悲は、人の悲しみを自分の悲しみのように感じるということです。
桜の花の色を、そのまま染物にするには、どうすれば良いのか?
桜の花の汁を染めても、茶色が浮かび上がるそうです。
桜の樹の汁を染めると、桜色に浮かび上がるそうです。
桜が桜色なのは、桜の樹の中に、美しい桜色が流れているからです。
それは、一見には見ることも感じることもできません。
人生も同じです。
あなたという花が咲いているのは、これまで樹の内側で見えなくても美しく生きていたからです。
花は一瞬で散りますが、本当の価値は、その「過程」、樹の内側にあります。
その人を観る際に、表面の花だけでなく、樹の内側まで観れるようになりたいものです。
そんな時、「ああ、この人の喜びも素晴らしい、悲しみも素晴らしい。」
そう思えるのでしょうね。
以上、善光寺に行った際の、老祖さまの法話でした。
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それは、人を救う力です。
慈悲を向けられた時、人は心が救われる思いがしますね。
慈は、人の喜びを自分の喜びのように感じるということです。
悲は、人の悲しみを自分の悲しみのように感じるということです。
桜の花の色を、そのまま染物にするには、どうすれば良いのか?
桜の花の汁を染めても、茶色が浮かび上がるそうです。
桜の樹の汁を染めると、桜色に浮かび上がるそうです。
桜が桜色なのは、桜の樹の中に、美しい桜色が流れているからです。
それは、一見には見ることも感じることもできません。
人生も同じです。
あなたという花が咲いているのは、これまで樹の内側で見えなくても美しく生きていたからです。
花は一瞬で散りますが、本当の価値は、その「過程」、樹の内側にあります。
その人を観る際に、表面の花だけでなく、樹の内側まで観れるようになりたいものです。
そんな時、「ああ、この人の喜びも素晴らしい、悲しみも素晴らしい。」
そう思えるのでしょうね。
以上、善光寺に行った際の、老祖さまの法話でした。
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