EARTH REVIVAL 地球再生アイテムをお届け!

大宮神社への参拝☆彡

大宮神社への参拝☆彡
『龍とトトロ、そして光が宿る楠』

――大宮神社に息づく、地球医学の原風景

1月2日、愛知県東海市にある 大宮神社 へ、会員の皆さまと初詣に伺いました。
この神社は伊勢神宮の分社と伝えられ、古くからこの土地に、伊勢の祈りと光を伝えてきた場所です。

境内に足を踏み入れた瞬間、空気がすっと澄み、
視界そのものが明るくなるような感覚がありました。

それは静けさでありながら、どこか朗らかで、温かな明るさを帯びた空気でした。

その中心に立っていたのが、
**樹齢およそ一千年と伝えられる、大きな楠(くすのき)**です。

『龍が宿る木』



その楠を見上げたとき、
先人たちが感じていたのと同じように、私たちは自然と「この木には龍が宿っている」と感じました。

枝は天へと伸び、根は大地の奥深くへと張り巡らされ、
天と地を一本で結ぶ姿。

日本では古くから、水の流れ、風の動き、大地のうねり、命の循環といった
目に見えない自然の働きを、龍という存在で表してきました。

この楠は、場を整え、流れを守り、生命の循環を静かに司る存在。

龍とは神話上の生き物ではなく、
自然の力をそのまま感じ取った、日本人の感性の表現なのだと、改めて思わされました。

『トトロが宿る木』

そして、もうひとつ。
この楠の前に立ったとき、
私たちは トトロ が宿っているようにも感じました。


それは姿が見えるということではなく、
ただ、そこに「在る」という感覚です。

トトロとは、森の精霊であり、自然と人とがまだ分かたれていなかった頃の記憶。

この楠の前では、理由もなく肩の力が抜け、呼吸が深くなり、
心がやさしくほどけていきました。

『トトロとは、龍である。』
そして、ここで一つ、深く腑に落ちた感覚があります。

トトロとは、龍である。

なぜなら、トトロとは 「杜杜龍(ととろ)」 だからです。

「杜」とは、
人の手が入りすぎていない森、
神が宿る社叢、生命が自然に循環する場。

その「杜」が二つ重なり、
そこに「龍」が在る。

杜杜龍 ―― それが、トトロ。

龍が天と地を貫く「流れ」だとするなら、
トトロは、その流れが
森というかたちで、やさしく現れた存在なのかもしれません。

龍は、動きとしての自然。
トトロは、包みとしての自然。

その本質は同じ、地球の生命意志です。

『天照大御神の光が満ちる場所』

そして、大宮神社が伊勢神宮の分社であることを思うとき、
この楠に感じたもう一つの要素が、はっきりと浮かび上がってきます。

それは、天照大御神の「明るさ」と「輝き」の御力です。

天照大御神は、照らし、育み、隠れたものを明るみに出し、
生命が健やかに巡るための「光」をもたらす存在。

この神社の空気が、ただ厳かであるだけでなく、
どこか朗らかで、前向きな温もりを帯びていたのは、
その光の性質によるものなのかもしれません。

龍の流れが巡り、トトロの守りが包み、
そこに天照の光が差し込む。

この三つが重なることで、
大宮神社の楠は、癒しと再生、そして希望の場として、
今も静かに息づいているのでしょう。

『地球医学から見た楠の力』

地球医学では、人の身体と自然を切り離して考えません。

楠は、・強い浄化作用
・抗菌・防虫の性質
・深い呼吸を促す香り
を持つ、まさに「場を癒す木」です。

そこに、龍の循環、
トトロの安心、天照の光が重なるとき、
人は自然と、本来の自分へと還っていきます。

それは治すというより、
思い出すという感覚です。

祈りとは、光と共鳴すること
祈りとは、お願いをする行為ではなく、
光と流れと呼吸を合わせること。

大宮神社の楠の前で、
私たちは一瞬、地球と、
太陽と、森と、同じリズムに戻っていたのかもしれません。

龍とトトロと光は、今も生きている

龍も、トトロも、
そして天照の光も、
過去の物語ではありません。

それは、水の流れであり、森の静けさであり、
朝の光であり、私たちの身体を巡る命のリズムそのものです。

大宮神社の楠は、千年という時を超えて、
そのことを言葉ではなく、在り方そのもので教えてくれていました。

地球は、今も私たちを癒そうとしている。
光とともに、静かに。

PS.
いつか一緒に行きましょう^^


.